オヤジのボヤキ
オヤジのボヤキは今に始まったことではないので、今更驚くことでもないが、それを聞く人によっては、あまり気持ちのいいことではないに違いない。第三者的には結構おもしろい。今日も今日とて、テレビに向かってボヤいていた。「何だ、このコマーシャルは!」1時間のドラマの中で、約1/3ぐらいはコマーシャルが占めている。もっとも、テレビの全盛時代と比べると、コマーシャルの効率はかなり低下しているように見える。つまり、かつて広告といえば、看板、新聞、雑誌、電車の中吊りなどが、テレビCMのライバルであったが、今は、インターネットの発達により、テレビCMの地位は相対的に低下していることが伺われる。テレビCMを唯一の収入源としている各テレビ局にとっては、コマーシャルの効率低下は死活問題にもなりかねないのい。そこでスポンサーのテレビ離れを引き止めるため、多くのスポンサー情報を伝える方策を講じる必要に迫られる。その方法は、いくつか考えられるが、主なものは、①限られた時間の中で、いかに多くの企業情報を的確に伝えるか。②企業のブランドを強力に印象付けるか。③できるだけ多くの企業を登場させるかの3つである。
① は企業理念・ブランド・新製品をオールランドに紹介する。②は①に追いつくために存在感を懸命にアピールする。③はコストの低下にともない、手の届くようになってきた成長企業をターゲットにする、というテレビ局側の戦略転換によるものである。しかし、そのアプローチの方法は多様であり、画面の外にいる我々にはなるべく悟られないよう、涙ぐましい努力の跡がしのばれる。つまり、ぶちあけた話をすれば、「質より量」を選ばなければならなくなったテレビ局側の戦略が透けて見えるというわけだ。その証拠に、ドラマなどの間に差し込まれるコマーシャルは、以前に比べ本数が多く、場合によっては10本近いこともあるように思われる。ひねくれもののオヤジなどは、朝の新聞はこのCMの時間を利用して読んでいます。ついでにいうと、CMの質も低下しているように見える、とぼやいています。例えば、生命保険のCMです。「〇〇万円の保障で△△の年齢の人は月々××円の保険料です。」というものや、「ビールの一番搾り」のように疑問が残るものも多く認められます。
上記の保険は加入者が支払う保険料とその死亡時に支払われる保険金のバランスが加入希望者の疑問に十分にこたえきれていない。例えば、「90歳まで保証が続く」という謳い文句は人生100年時代と言われる現代社会には、馴染まないように感じるとボヤいています。そんな中で唯一気に入っているのは、某保険会社のCMです。その内容は、「入院していたお母さんが退院する日、お父さんが運転する車で姉と弟がお母さんを迎えに行くシーンです。姉いわく、「お母さんはいつも元気だと勝手に思ってた」。するとお母さん、「そうね!お母さんもそう思ってた」。そして姉は喜びを隠しきれず、お母さんに抱き着いて「私何でもするから!」と実現しそうもない宣言をする。それを聞いて、「その言葉録音しておこうかな!」とお母さん。そしてお母さんと姉は、少し離れて立ってている弟を見て、「泣いてるの!」と言葉をかける。すると、「泣いてねえし!」と弟、続けてお母さんが、「抱き合おうか!」と声をかける。弟は「抱き合わねえし!」と袖で涙を拭いながら答える。後は、普通の家庭のシーンで締め括っているが、このCMだけは何度見ても見応えがあるそうです。