金光山 満福寺 (若林区荒町)
昔ながらの商店街、荒町に今光山満福寺はあります。そこにおられる「荒町の毘沙門さん」。長くこの地を守る毘沙門天です。持国天、増長天、広目天と共に仏教の世界を守る四天王の一人として名をつらねていたのが、多聞天こと別名、毘沙門天でした。多聞天とは読んで字のごとし、お釈迦様の教えを最もよく聞いたことに由来し、その力は四天王の中でも最強と謳われるほど。七福神の中で唯一武装しているのもそのためなのでしょう。そういえば、多くの毘沙門天像は足で邪鬼を踏んでいますが、これは邪鬼が懲らしめられて家来となり、自ら台座となった姿だとか。そのエピソードだけでいかに強い武神であるかが想像できます。
ところが、人生もそうですが、神の世界も何があるか分かりません。ここ満福寺の毘沙門天は戦いをやめ、なんと子育ての守護神となった有名な存在なのです! これについて、ちょっと面白い逸話が残されていました。この毘沙門天がかつて伊達政宗公の城攻めに手を貸し、見事に勝利させたときのこと。その力の強さに「もしこの毘沙門天像が敵方に渡ったら......」と恐れた政宗公が像を河原に捨ててしまったため、「なんてことするんだ、もう戦いには手を貸さんもんね!」と、心に決めたとか。その後政宗公の命で仮堂ガ建てられ、仙台藩二代藩主の忠宗によって現在の毘沙門堂が建てられた記録が残されているので、捨てたというのはあくまでも伝説なのだと思います。
とはいえ、戦いに手を貸したくないという思いは、何だかとても優しく胸に響きます。そんな満福寺の毘沙門天像は、奥州藤原氏第三代当主藤原秀衡が運慶に彫らせたというと伝えられる由緒ある仏像です。明治期の火災で炭化が進みましたが、京都での修復を終え今なお秘仏として私たちを見守ってくれています。昨年は12年に一度の寅年の御開帳で、多くの人が参拝しましたが、不思議なことにその後、たくさんのいいご縁に恵まれています。きっと、「人間はみんな大切なこどもたち」と、ご加護をくれたのでしょう。ありがたいです。