お母ちゃんの「忘れても、まぁいいか! ランキング
皆さんは「ラグジュアリー」と「ゴージャス」という言葉を意識して使い分けているでしょうか。ファション用語辞典によると、{ラグジュアリーは「豪華な」「贅沢さ」という意味。ファション業界では、贅沢な高級品を指して使われることが多い。金銭的な価値が高いものを取り入れたコーディネート・テイストを、「ラグジュアリー・ファッション」という。"金銭的な価値はないが、個人の感覚で豪華に見えるもの"に対しては、ラグジュアリーではなく、類似語の「ゴージャス」を使うのが正しい。ただし、豪華な雰囲気に見えるものや豪華な雰囲気のものを指し、「ラグジュアリーな雰囲気」と使われることも多い」}。何だかよくわかりませんが、要するに「ラグジュアリー」は主としてファッション業界で使わる言葉で、実際に豪華で贅沢な様を形容詞(又は名詞)として使われるのに対して、「ゴージャス」は、個人の感覚で豪華にみえるものに対して使われるが本来の正しい使い方のようです。このように言葉の使われ方は、時代と共に変化するもので、あまり詮索するのは野暮の極まりですよね!
このように、言葉遣いにはいつも厳しいわが家ですが、お母ちゃんは言葉の意味「定義」を勝手に変えてしまう天才です。例えば、昔から絶対に変えないで厳しく守っているもの、最初からどうでもいいといい加減に覚えているもの、昔と今では全く変わってしまったものがありますが、中でも、ずっと大事にして今に至っているものをランキンでいうと、第3位は、洗濯は毎日必ずやる。2位は、食料品を一定程度必ずストックしておく(非常食を含む)。第1位は、オヤジの昼食の用意は必ずする。これは当たり前のようで実はなかなか難しいことだ、とオヤジは言います。特に洗濯は例え天気が大荒れでも明日に回すことは絶対にしません。しかし、オヤジの昼食は、この頃大変怪しくなってきた。もちろん、昔も忘れることは多少あったとしても、申し訳ない気持ちで謝っていたのに、今では、昼食を一回ぐらい抜いたとしても死ぬわけでもない、と悪びれた様子が見られなくなった。もちろん、今は、"電子レンジでチン"と言う手があるので心配ないし、その辺を探せば何か食べるものはあるのですが、オヤジにしてみれば薄れた存在感が哀しいのでしょう。
オヤジは、「明日できることを今日無理してやれば、明日の仕事がなくなる」というお母ちゃんのふてぶてしくも堂々とした変容ぶりに目を丸くしています。変容したお母ちゃんの態度もそうですが、それよりもむしろ、褒めているのかがっかりしているのかわからない、オヤジの態度もボクには理解できません。ただ一つ言えることは、見ようによっては「壊れそうで壊れない関係」は、お互いに寸止めのルールを守り通していく、阿吽(あうん)の呼吸というものがあるような気がします。世の中は、すべからく硬すぎず、柔らかすぎない微妙なクッションで守られているのでしょうね。人間社会が幾度となく変容を繰り返しながらも存続してきた歴史にも、目に見えない暗黙のルールでコントロールされてきたからではないでしょうか。しかし、心配の種が尽きないのも事実です。それは、人は権力を手に入れると、全てが自分の意のままになると勘違いしてしまうことです。弱いものも強いものも、それなりに幸せを実感できる世の中をつくらなければ、どんなに強い権力者でも幸せにはなれないということです。