退屈な日々の過ごし方
世の中、何事もないのが一番といいますが、最近のボクは退屈な日々を過ごしています。もちろんこれは贅沢な悩みであることは重々承知しているつもりですが、オヤジのライフスタイルに従属する形でストレスと戦うことを常としてきたためか、少し手持無沙汰とでも申しましょうか、正直言って平凡な毎日に腕がなまったような気がしています。でも本当は、地球上で起こっている解決不能な難題に辟易しているため、無力感にさいなまれているためではないかも思っています。ボクたちは、太古の昔から人間と共に暮らし、少しぐらい無理をしても人の役に立って褒められることを生き甲斐にしてきたものですから、そうした活躍の場を与えられると心も体も浮き浮きするという性質があるようです。この家に来てすぐに、オヤジの仕事を手伝うことになり、ボクも水を得た魚のように、そうした暮らしが生き甲斐になったのかもしれません。オヤジの仕事は、景気が上り坂で頂上付近にさしかかった時と谷に向かっているときに忙しくなります。その時には、当然ボクの出番も多くなり、おのずと生き生きしてくるわけです。
しかし今の経済状態は、ヘリコプターが谷底でホバリングしているような状態で、志はあっても多くの人が関われる状態にないとオヤジは言っています。こうした状況下ではオヤジばかりではなく多くの人がじくじたる思いをしているに違いないと思うのです。みんなの願いをあざ笑うかの如く、次々に襲ってくる自然災害、力に任せて殺戮を繰り返す国、とってつけたような大義名分を掲げて弱っている人につけ込む宗教団体等々。こんな殺伐とした時代はおそらく大戦後初めてではないかという。もちろん、経済的には今の比ではないどん底を味わってきたオヤジたちですから、少しは心に余裕があることは認めているようですが、将来に対する不安は当時よりも大きいのではないかといっています。つまり、人間の存在そのものを支えている地球が壊れるかもしれないという大ピンチを目の前にして、地球上の線引きに大真面目で汗を流しているリーダーたちの身勝手な言い分は、戦国時代に逆戻りした感じです。もっとも、「戦国時代」と一口に言うと、この時代の人々から、ばかにするな とお叱りを受けるかもしれませんね。
なぜなら、中国の唐代の名医、孫思の著書『千金方』巻一「珍候」に次のように書かれています。「上医医国、中医医民、下医医病」がそれです。その読み方は「上医は国をいやし、中医は人をいやし、下医は病をいやす。」だそうです。西暦450年から470年代にかけて、既にこうした思想家がいたことに驚きますが、それ以上に現代社会の貧弱さにはさらに驚きます。80数億以上もの人が住んでいる地球にこうした哲学を持ってリーダーシップを発揮する人材が現れないものでしょうか。いや、必ずどこかにいるはずです。もしかすると、個々の小さな平和を守ることに翻弄され、他人の平和には余り興味を示さなくなってしまったのでしょうか。そうだとすれば宝の持ち腐れです。個々人の幸せは世界中のみんなの幸せに依存しているということを是非思い出していただきたいものです。ボクの経験では、生前悪いことをした人と同じくらい、知っていて何もしなった人も、閻魔大王様からきつく追及され裁きを受けます。悪いことは言いません。上医は上医らしく、中医や下医と同じ仕事で満足せず、世直しに力を尽くすようお願いします。