蔵のまち村田(1)
この地は、室町時代に小山九朗業朝(おやまくろうなりとも)が下野国から赴任、村田姫を名乗って伊達家の家臣となり、城を築いたのが始まりと伝わる。その後、1613年から仙台藩主伊達政宗の七男宗高が若くして没した後は何度か領主替えがあったが、1684年に芝多氏が領主となり幕末まで施政が続いた。藩政時代の村田は、奥州街道と羽州街道を結ぶ地に宿場町が形成され発展していった。江戸時代中期には紅花栽培が盛んになり、干し花が笹谷街道から奥羽山脈を越え、山形の最上川舟運により大坂や京に、また奥州街道や阿武隈川を通じて江戸にも送られた。
さらに明治時代には繭の集散地となり、仙南地方の商業地として繁栄したのである。それらの取引を行った村田商人は富を成し、町も発展した。豪商たちは、町を南北に走る通りに、店蔵と呼ばれる重厚な土蔵造りの店を構えた。なまこ壁を多用し観音扉の窓を付けた店蔵は、繁栄の面影を今に伝えている。店蔵が残る町並は、築100年を超えてどっしりとした趣を保ち、村田を象徴する風景を作り上げている。蔵の町では、「乾坤一」の酒造元・大沼酒造店が創業300年を超える老舗として営業中。
その他には、歴史的建造物を利用して、昭和の雑貨を展示する資料館「カネショウ商店 かねしょうの時館」、カフェとギャラリーを兼ねる「Le Cocon藍(る ここんあい)」、作家物の雑貨や東北の厳選食品などを扱う「余伯 YOHAKU」、紅花を使用したケーキがある「Cafe蔵人」などが並んでおり、新感覚の蔵の町に進化している。そして従来から人気を集めている「蔵の陶器市」をはじめ、町を楽しむイベントなども随時開催。また、蔵の町の通りだけでなく、町内には伊達宗高ゆかりの龍島院など由緒ある寺院や伝説の史跡が散在している。中世から現代までの歴史を辿る散策は興味深い。様々な思いを馳せながら、ゆっくり過ごしたい町である。