前回の話の続き
前回の話は、「散歩中で出会う犬好きな人との話」という題名でした。終盤にはオヤジが「ボクを家族であると」語気を強めたところで終わりましたが、今のボク(いや存命だったずっと以前から)にとってはどうでもよいことなのですが、オヤジがこだわるのであれば、特に文句をつける理由もないので、黙って聞いていることにしていました。図らずも今回、ふとしたことから、ボクが家族同然の存在ではなく、『家族そのものだ』」というオヤジの拘りを耳にして、毎日オヤジと散歩していたころを思い出しました。オヤジもお母ちゃんも、そんなことに拘ったって全く意味がないことを重々承知しているはずですが、ボクには、久しぶりで聞いたオヤジの言葉が新鮮で、何故かさわやかな気分になりました。これってなんだか矛盾してますよね。だって、昔はどうでもよかったことが、あの世に籍を移して久しい今になってこんなに新鮮に心に響くなんて! もしかすると、昔のオヤジはワンちゃんを本当の家族と一線を画している人に向けられた憤りであったのに対して、今は、自分(オヤジ)とボクの未来に対する願望だったかもしれないと感じました。
改めて言うまでもありませんが、オヤジがボクをかわいがり、相棒とまで呼んでくれるような仲になったことはボクの誇りでもあります。人間同士だとどんなに仲が良くても、時には喧嘩もするものです。しかし、ボクとオヤジは、喧嘩をしたことは今までに一度もありません。こうした関係は、もしかすると本当は余り仲が良くないのではないかと、と考える人もいるかもしれません。オヤジとお母ちゃんを見ていると三日に一度は喧嘩をしています。それではなぜ、オヤジとボクは一度もけんかしたことがないのでしょう。そのことについて、以前オヤジに聞いたことがありました。するとオヤジは、「それは、ムサシは褒められるのがとても嬉しいから、私の嫌がることをしないようにしているからじゃないかな?」という答えでした。確かにボクはオヤジの性格を知り尽くしているので、オヤジの嫌がることをするのは極力避けてきました。しかし、それ以上に褒められるのが大好きなので、褒められるためにどうすればいいのかを考えて行動してきました。この関係がうまくかみ合って、褒められることをさせるので、喧嘩にならなかったのでしょう。
そこへ行くと、お母ちゃんは、「こうすれば(あるいはこういえば)、オヤジは必ず嫌がるということを十分認識していながら、何のためらいもなくオヤジにぶっつける。条件反射の実験さながらに、オヤジは烈火のごとく怒り出す。でも、この戦争、どっかの国と国のようには長く続かず、長くてもおよそ3時間で収束する。これは決してそういうルールになっているわけではないが、法律などより厳格に守られている。その暗黙のルールとは、「どんなに激しく言い争っても暴力は使わない」「相手の尊厳を尊重する」「反省しても特に謝ることを相手に求めない」。それに対して、ボクとオヤジの間のルールはいたってシンプル。「ボクを褒めること」で、ほぼすべてのトラブルは防止できる。だからといって、子供をベタ褒めするような褒め方をする分けではない。もちろん、多少の曲折はあったものの、今では、どんなことでも話し合える相棒という関係に育ったことは紛れもない事実です。喧嘩をするのは仲のいい証拠。また、喧嘩をしないからといって仲が悪いということではなさそうです。それが家族というものではないでしょうか。