おにぎりの具は、なるべく真ん中に!
オヤジの感が鈍くなったのか、それともお母ちゃんのちょい悪が過ぎたのか、最近オヤジの機嫌がすこぶる悪い。今日も今日とて、唯一の楽しみである昼食の時間に、メインイベントのおにぎりを手に取って口に運んでガブリとやったが、目当ての梅干しが見当たらない。なぜ今日のおにぎりの具が梅干しだと分かったかというと、ご飯をつつんだ海苔の間から、梅干しの色で染まった紫蘇の葉がのぞいていたからです。しかし、実際に食べてみると主役の梅干しが見当たらないのです。でも、ここまではよくあることなので、あまり気にせず、寛大に構えていたオヤジですが、次の一口また次の一口と食べ進んでも、一向に梅干しにありつけません。もしかすると、これは? と疑い始め、それが確信に変わろうとしていたとき、一筋の光明が射してきたのです。それは、まるで土に埋もれた仏様のように、おにぎりの端に梅干しが鎮座していたのが見えたからです。お母ちゃんに文句の一つも言おうと思っていたところでしたが、この光景を見た途端おだやかな気持ちになり、愛おしそうに梅干しを口の中に運び、昼食を終えました。
でも、一番ほっとしたのはボクだったような気がします。自分の失敗には厳しく、人一倍くよくよするし、他人の失敗も糾弾するタイプのオヤジですから、もしおにぎりに梅干しが入っていなかったら、お母ちゃんに激しく抗議したことでしょう。すると負けず嫌いのお母ちゃんは、「おにぎりに梅干しを入れ忘れたぐらいで...! そのうち、お父さんなんか、自分の家がどこか忘れるかもしれないじゃないですか!」とくるかもしれない。そうなると、1時間30分ぐらいバトルが続くことになる。ご本人たちは、ゲーム感覚で言葉の応酬を楽しんでいるつもりかもしれないが、傍で聞いているボクにとっては、あまり心地の良い時間ではありません。ましてや、このコロナウイルス禍の時節、退屈しのぎにバトルが30分ぐらい延長されるかもしれない。そもそもオヤジは、物事を律儀に考えすぎる癖がある。おにぎりの具が真ん中に入っていなければならないという法律などはないし、そのことにより、食べた人が精神的苦痛により損害賠償を請求したという話も聞いたことがない。ましてや、梅干しの気まぐれで、端の方に移動したことだってあるかもしれない。
それをすべてお母ちゃんのせいにするのはいただけない。楽しみにしている昼食の時間であれば、おにぎりの心を透視してみるぐらいのゆとりがあっていいはずです。そうすれば、真逆の食べ方ではなく、半分ぐらい食べたところで、お目当ての梅干しに辿り着けるはずですから、そんなに落ち込むこともなかったはずですよね。例えば、お母ちゃんがおにぎりを作ること自体を忘れることもよくあります。そんなとき、オヤジは、「今日は泥棒が家に入り、おにぎりを盗んでいった」などと、皮肉とも冗談とも取れるようにやんわりと反省を促すのに、おにぎりの中の梅干しの一でガタガタ騒ぐのは腑に落ちません。これはオヤジ譲りの考え方です。それにしても、今回は事件にはならず、反省会は大爆笑の連続でした。夕食のおかずを一品増やしたぐらいの効果があったようで、何よりでした。いやまてよ! もしかすると、これはオヤジの仕掛けたトラップだったのか? それとも、その上を行いくお母ちゃんの巧妙な戦略だったのか? いまとなっては、真相はどうだったのかなどということを究明する価値などまったく感じません。