美しくて丈夫な「白石和紙」
はるか平安の昔から、東北地方の和紙は「みちのくの紙」とよばれ、その時代の文学者である紫式部や清少納言らに愛用されていた。ふくよかで清く、気品があって格調高く、水に強くて丈夫だと彼女たちは感じていたようだ。みちのくの紙の産地は判明していないが、専門家によると、宮城県内の可能性が高いと推測されるとしている。白石和紙の現在の仕様が確立されたのは、江戸時代以降。伊達政宗の領地になり、紙漉き職人がこの近辺に集まってきて、伊達家や片倉家の御用紙を漉いたという記述が残っている。
紙漉き職人が製紙地として白石を選んだ理由は、原料の虎斑楮(とらふこうぞ)の栽培に適していた気候・地質であることや、良質の水が豊富にあること、紙干しをする期間も晴天の日が多く、空気が乾燥していることなどが挙げられるという。白石和紙は,美しいうえに丈夫という特徴がある。江戸時代に、糊、渋などを塗って衣類に用いる「紙子」や、細かく切った紙を糸にして布を織る「紙布」に加工された。紙子の技術は発展を続け、現代ではハンドバックや名刺入れなど様々なアイテムになっている。
2015年3月、白石和紙を制作していた唯一の工房は、その幕を閉じた。現在は、市民グループ「蔵富人(くらふと)」が、楮の栽培から紙の仕上まで行っている。メンバーは約20人。代表の阿部桂治さんは「現在は、技術の継承に取り組んでいる段階です」と話す。メンバーたちは、仕事や学業と両立させながら活動しているため、大量生産はできないが、少量ながら生産を続けている。宮城県の県民栄誉賞などの賞状用にも提供している。また、白石市内全中学校の卒業証書を制作、一部中学生が自身の卒業証書の紙を作る指導も担当。地域の伝統文化を大切に思う心を分かち合いながら、白石和紙を続けている。