大人と子供の境
政党の総裁や代表を決定する場合よく見られるのは、複数の候補者が乱立して投票が行われた場合、どの候補者も有権者の過半数から支持が得られなかったとき、決選投票を行い、一票でも多い候補者を当選とするという方式です。決選投票が一回目の投票と同じ候補者が立候補すれば、ほぼ間違いなく最初の投票で1位になった候補者が当選するのが順当と思われる。そこで、何人かの候補者は、連合軍を組み1人に絞ることで、逆転あるいは確実に連合軍に勝利を呼び込む工作をする。入学試験などでいう第2志望にかけるわけだ。一方マラソンなどの場合、レースの中間で1位と2位の差がある程度離れた場合、先頭(1位)の選手はどのような戦略で臨むのがよいだろう。2位の選手の戦略(出方)をまねするのがよいといわれていることがある。例えば、2位の選手がスパートを仕掛けてくれば、1位の選手はそれをまねしてスパートすれば、2人の選手との差は縮まらないからだ。つまり、この戦略は1位の選手にとっては一番疲労が少なく、ゴールまでその差を保てるというシナリオです。
選挙で勝つための戦略とマラソンで勝つための戦略はおのずから異なるので、これらを比較すること自体ナンセンスかもしれません。また、えげつないと思ったり、卑怯だと思う人もいるかもしれない。例えば、選挙の場合でいうと、自分の信念に従い最後まで単独で戦って敗れるというのが潔いと思う人もいるだろうし、マラソンの場合は、自分より下位のランナーを真似るなどスポーツマンシップに悖ると思う人もいて当然です。しかし、これらの行動はどちらも合理的に作られたルールの範囲内での行動です。それに、このルールに多少の違和感を覚えたとしても、みんながこのルールを合理的であると認めた上で、選挙なりスポーツに参加しているのであれば、自分もこうした戦略により救われるチャンスがあるわけですから、特別フェアーなプレイではないとしても、ダーティなプレイと非難されるべきではない。つまり、ゲームに参加しているプレイヤーすべてが、公平に、一定のルールの下でプレイできるのであれば、それほど問題はないはずです。
大相撲で、立ち合いにかちあげをする横綱が話題になっていましたが、この技は反則ではないが望ましくはないというグレーゾーンに属するものなので、相撲協会としても、また、行司としても反則負けという理由で軍配を相手力士にあげるわけにはいきません。しかし、下位の力士が横綱と対戦した場合に、このかちあげという技を使ったらどうなるでしょう。それでもルール上は問題ないはずですが、下位の力士にしてみれば、横綱に対して無礼であると思い使わないのだとしたら、公正なルールとは言えないような気がします。ましてや、かちあげというより、プロレスのエルボーのような技である場合、相撲本来の真剣勝負にはふさわしくないのではないでしょうか。この辺の矛盾をある時は利己的に、かつ強引に折り合いをつけて正当化するのが大人で、どうしても納得かいかないのが子供なのでしょうか。日大アメフト部の監督やコーチの釈明記者会見を見ていると、ふとそんな気がしました。だとすれば、もっと大人としての説明責任をしっかり果たすべきだと思うのですが。