丸森町の歴史を辿る
阿武隈川の支流である内川の渓流が美しい、不動尊公園にあるのが駒場瀧不動尊愛敬院です。7世紀、役小角(えきのおづの)が開祖と伝わる修験道の流れを汲む。山に籠って厳しい修行を積む山岳信仰と仏教が習合したもので、愛敬院は山伏の修行道場として栄えました。現在も、毎月山伏独自の護摩祈祷を行い、毎年春には一般の人が参加できる霊山峰入り修行(山伏修行)を実施しています。見所は江戸時代後期に建てられた仁王門。年貢の負担軽減を訴え義民とされた菊地多兵衛が寄進したものと伝わる。本堂裏にある五輪塔は、塔の一番上の石を「重くなれ」「軽くなれ」とそれぞれ念じてひねり、持ち上げたときの重さの違いが感じられたら、願いが速く叶うとか。山深い景色の中、境内を散策して修験道に触れてみたい。
標高120mの独立した小山に当初は相馬氏の家臣によって築かれた金山城があります。1584年、伊達氏と相馬氏の戦いにより伊達氏の帰属となりました。この戦いで功を上げた家臣の中島宗求が金山城を与えられ、明治維新まで代々中島氏が金山、大内などの領地を治めました。登城道を、米蔵跡、三の丸大手埋門跡、硝煙蔵跡、出丸跡、馬屋跡、大手門跡と辿って頂上の本丸跡につく。本丸跡の平場からの眺めは素晴らしい。伊達政宗初陣の地の累址が見え、また街の中心部から角田方面まで見渡せる。遊歩道が整備され、頂上まで15分程で行ける名所です。地元の郷土史家が案内と解説をしてくれるツアーもあり、歴史を深く学ぶいい機会となるでしょう。
また、養蚕の盛衰を偲ぶ佐野製糸場跡も是非見ていただきたい所です。明治時代に最盛を誇った養蚕業と絹製糸業。1885年、小野組の佐野理八が独立して金山地区に製糸場を建設し、フランス製の最新機械を導入して絹糸を生産し、欧米でも高い評価を得ました。しかし、大正期中期の世界的不況の影響を受け、昭和12年に閉鎖されました。現在は石垣が残るのみです。往時は、敷地内に足尾銅山に次ぐ全国2番目の測候所を設置し、雨量・風力などを観測して町内外に伝達し、町長が感謝の意を表したという。その測候所の石段があるので見つけたいものです。また、敷地の奥の高台には工女の墓が並んでいます。他県から働きに来て病没した女性たちを社主が手厚く葬ったもの。この時代の工女の暮らしが偲ばれます。