仙台七夕まつり(その4)
話は戻って昭和22年、人間宣言を発した天皇の仙台巡行が8月5日に決定。商工会議所と市は、5日から七夕を飾り、盛大にお迎えしようと全市に呼び掛けた。夕刻、仙台に入ったご一行は、彩り豊かな吹き流しのトンネルを抜け、一本杉の伊達邸に入られたという。河北新報「紙吹雪の中を歓喜に揺られて進む御料車」の見出しとともに「七夕様は、真心を込めてお迎え申し上げる町民の思いを、直接、陛下のもとに運ぶかのように見える。これこそ、天皇の星祭りに和する日本一の地上の祭典」と報じた。この時七夕を飾った家は約5千軒にも上り、各町内会ともぜひわが町を通過してほしいと、要望が殺到したそうだ。一戸一本運動は、一時期は全市域で行われた。「商工会議所が組織した仙台七夕協賛会が頑張っていました」と伊勢さん。市内の商店会を窓口にして青竹や鉛筆、ノートなどを配ったり、小学校に青竹と和紙セットを配ったりしたという。「時代とともに、だんだん作られなくなって廃れました。残念ですね」。
一方で、仙台市中心街の七夕は、観光ブームの盛り上がりとともに一層賑わう。「眺めるだけの七夕に、音や光、動きを加えようと話し合いました」と伊勢さん。コロンビアレコードに依頼した「七夕おどり」は、島倉千代子さんが歌う耳に馴染みのいい曲で、たちまち広まった。また、夜空に光が炸裂する、七夕前夜祭花火大会は昭和45年から始まった。さらに良く46年には、豪華な山車が出る「動く七夕パレード」もスタート。「準備は大変でしたね。東一番町でやろうとの提案がありましたが、定禅寺通りに決まりました」。欅並木の緑が繁っていると、ビルの上階や上空から眺められず、見物スポットが限られる。ただ、交通規制や警備上から定禅寺通りが選ばれたという。
高岡繁夫構成演出だった「七夕パレード」は静的七夕と違う新しい七夕の一面を見せてくれた。いずれにせよ、仙台七夕は昭和30年代から急激に進化してきたようだ。観光客誘致のため、夏の東北3大祭りルートができ、後には、岩手、山形、福島も加わるなど、近年は観光・商業イベント的な色彩も濃くなった。それでも、地域の商工人がここまで連携し、長く続けているお祭りは少なく、評価すべきでしょう」と伊勢さん。一方では、昔ながらの手作りの七夕の良さも失いたくないという。「子供がいる家庭は、ぜひ家族で作ってみよう。3年続ければ、必ずお子さんの思い出になって残りますよ」。七夕伝説や飾る道具の謂れを話しながらでもいい。凝ったものでなければ4ないし5時間で笹竹一本の飾り付けができるそうです。七夕の街、仙台に住むのもご縁、さっそく子供たちに声をかけてみてはどうでしょう。