深刻ないじめ問題
最近は多少下火になったかにみえる「いじめ問題」ですが、統計的には対前年比では確かに減少傾向にあるようです。表面には現れないいじめは、子どもたちの間だけではなく、大人社会にも蔓延しているようでとても心配です。特に深刻なのは、いじめによることが原因で、自殺や殺人に至ることが頻繁に起こっていることです。こうした問題は今に始まったわけではなく、昔からあったと言われればその通りなのでしょうが、いまのいじめは、そのやり方が狡猾で陰湿かつ執拗であるということではないでしょうか。
オヤジは、「気のせいかも知れないが、昔のいじめはもう少し大らかだったよう思う」と言っています。つまり、悪ふざけから始まりいじめにエスカレートするというパターンは同じでも、昔は限度をわきまえていたように思うというのです。ところが、今のいじめは、「苛める」というより生命の危機に直結するようなものが多く、明らかにいじめの限度を超えています。それに平成24年に急増したのも気掛かりです。この年はあの東日本大震災の翌年で、全世界の人々が被災者に支援の手を差し伸べていたころです。
しかし、その裏側では、被災した子供たちに追い打ちをかけるように、いじめが横行していたということです。昔の言葉に、「衣食足りて礼節を知る」というのがありますが、衣食が足りている子供が、被災して落ち込んでいる子供をいじめているという構図を想像すると、何とも情けない気がします。オヤジの子供時代には、悪乗りが高じていじめに発展してしまうことはあったにしろ、「教育的なこらしめ」という思いやりの心が隠し味のようにあったものだという。それが証拠に、どんな子も基本的には仲間の輪の中にあり、ガキ大将がちゃんと大岡裁きをしてくれたそうです。