今となっては遠い思い出(その2)
下山途中での休憩は、ここが最初で最後でしたのでメンバー全員がある種の達成感に満たされているのか比較的ゆっくりくつろぎました。そこで飛び出したのが、オヤジがお母ちゃんから持たされた、チオビタをみんなが要求したことです。これはかなりの重さだったので、昨日登り始めて時、早めに飲んでもらいたかったので、何度か勧めたそうですが、誰一人見向きもしなかったということです。おかげでオヤジはここまで重い荷物を運搬する羽目になったわけです。しかし、ここにきて、アッという間に背中が軽くなり喜んだのでが、「どうして今なんだ! もう少し早く言ってくれよ!」 という思いもあり、複雑な気分になったようです。しかし、それが同級生同士のわがままであることと笑いとばすことにしたようです。でも考えてみると、背中が重かったのはチオビタだけでなく、山中湖の旅館を出発したときに買ったペットボトル2本の水(1本5ℓ入り)が肩に食い込んでいたことが大きな原因でしたが、汗かきのオヤジは8合目の山小屋に到着する前に大方消化していたので、チオビタだけがつらく当たられる羽目になったというのが真相です。
こうして、「行きはよいよい帰りは怖い」下山行程を終了し、5合目のレストハウスに滑り込みました。そこで食べたかき氷の美味しかったことと言ったら! そうこうしているうちに帰りのバスに放り込まれ、気がつくと旅館に到着していました。ひと風呂浴びた後、反省会という名の宴会が始まり、意外にもオヤジの健脚ぶりが一時話題になったという。それは、8合目の山小屋に一番早く到着したのがオヤジだったことを言っているのでしょう(2時間ほど早かった)。しかし、当の本人は山歩きが不慣れなので、途中で空が真っ暗になり、雪が降りだしたとき、辺りを見回すと周りに全く人がいなくなったので、怖くなり駆け足で山小屋にたどり着いただけだったという。おかげで、下山するときが大変だったのでした。案の定翌朝は足が痛くてまともに歩ける状態ではなかったのですが、これでもう帰ると思い、歯を食いしばりやっとの思いでタクシーに乗り込みましたが、する誰かが昇仙峡の話をしたところ、タクシーの運転手から案内しましょうか、と話を持ちかけられ、勢いでその話に乗ってしまったのです。
図らずも、一台のタクシーをチャーターしてしまった運命共同体の形になってしまい、渋々昇仙峡ツアーに参加することになったオヤジでしたが、けがの功名というべきか、昇仙峡は素晴らしいところでした。だからといって足の痛さが和らぐわけもなく、泣きながら渓谷をひたすら歩きました。おかげで足の痛みがほんの少し楽になったような気がしたのと、信玄神社にも立ち寄ることができたこと、大菩薩峠を眺めたことなど、収穫は結構あったようです。不思議なもので、あんなに過酷な行軍の後だというのに、あとは電車に乗れば家に帰れるという安堵感からか、今さっきまで迷惑極まりないと思っていた思いが薄らぎ、何故か、ここ数週間ボクとトレーニングに励んだ日々を思い出し、今回の富士登山はボクの協力の賜物だとあらためて思ったという。ボクとしては特別ことをしたとは全く思っていません。塩竃神社の石段(202段ですが幅が広く歩きずらい)を毎日4往復したのはオヤジだけでボクは1往復で、あとは監督だけでした。それでも、オヤジは、傍にボクがいることで、怠けずにトレーニングができたと感謝しているということでした。