今となっては遠い思い出(その1)
相棒のオヤジは、ボクとのかかわりを遠い思い出として話すのはあまり好きではないようです。今朝のテレビで富士山の山開きの様子が取り上げられていました。その中で、いつも話題になるのは、ごみのホイ捨て、登山者の安全管理体制、宿泊施設不足などのようです。この話題になると、決まってオヤジが口にするのは、"もうこんりんざい富士山には登らないぞ"、あんな怖い山はない、5合目から頂上まではまるでがれきの山、砂や石ころ、大きな岩石が今にも崩れ落ちそうで雄大な景色を楽しむどころではない。それに、登山らしい登山といえば、高校2年生の時以来のことで、野山を駆けずり回っていた頃の山はとまったく勝手が違うというのです。とくに、宿泊施設である山小屋は寝室が極端に狭く、太めのオヤジの体を休めるにはあまりもスペースが狭すぎ、まるで棺桶の中を彷彿させるような息苦しさを感じたという。でも、今更文句を言っても仕方ないので、寝返りを打つときは、隣近所の人と、「せ~の」と声かけをすることにしたほどだという。翌朝は午前3時頃に起床して、山頂を目指すことになったが、これがまたコスパが悪すぎる。
狭い石段に大勢の人がびっしりと列をなし、一歩進むのに4~5分ほどかかるように感じたとか。ようやくたどり着いた山頂の景色は、今までの苦労が報いられるほどのものではなかったようだ(少なくともオヤジにとっては)。というのも、山頂付近の気温は昨日とは打って変わって零下。おまけに高山病で頭がずきずきする。でも他の連中は山小屋から持たせられたおにぎりを食べようと食堂に駆けこむ。おまけに、みそ汁が飲みたいと注文する剛の者もいる。それがまた、悔しがり屋のオヤジには気に入らなかったようです。そうこうしているうちに、日の出の時間が近づいてきたので、ご来光を拝もうと東側に移動した。やがて太平洋側の山並みから朝日が昇り始めたが、これがまたお日様が愚図愚図しているようでなかなか姿を現さない。ひねくれもののオヤジは、どこで見たってお日様はお日様だ。早く儀式は終わりにたしいと思ったことでしょう。でも、みんなの歓声と同時に、新鮮な朝日に照らされている顔を見たとき、やはり少しは得をしたと思ったという。ところが、これで終わらないのが同級生のいいところでもあり、悪いところでもある。
今度は富士山神社(富士山頂浅間大社奥宮)まで行ってみようとメンバーの誰かが言い出した。これをことわると、一生悪者にされそうで、やむなく賛同することにした。すると、案の定というべきか、郵便局にも立ち寄ろう、二度とない機会だから、天文台(旧)にもということで、結局は、最後は河口の周りを一周する羽目になってしまった。ここがまた結構きつくて、やく1時間も山あり谷ありの道を唯々無言で歩き続けた。それでも、途中で高校生とおぼしき集団に記念撮影のシャッターを押してもらった際、「このおじさんたち還暦だとよ! すげいな!」などと持ち上げられ、いくらか元気をもらったのがささやかな救いだった。やれやれと思う間もなく、下山することになったが、これがまた地獄で閻魔様にお仕置きを受けているような辛さだった。何故かというと足がパンパンでコントロールが効かないため、ズルズル滑る地面に足をすくわれ、ここに来なければ一生かかってもこんなに転ぶことがなかっただろうと思うほど、尻餅をついた。こうしてようやく、もうすぐ5合目(出発点)というところまでたどり着き、一休みすることになりました。