物価と賃上げのいたちゴッコ
コロナが一段落した今、世の中では物価の上昇を容認しながら、賃金の引上げを要求しているという構図になっています。しかし、この形は少し変です。もともと、モノやサービスは売り手が作るもので、賃金もそれをつくるときのコストですから、この争いは兄弟ケンカのようなものです。つまり、経営者と従業員が協力して製品やサーピースの付加価値を高め、その成果を公平に分け合えば解決するようにも見えます。もちろん経済の構造はそのような単純なモノではないことは誰でも知っている。実は、そこで幅を利かせている第三の力は、景気である。この景気というやつは、非常に厄介で、ほんの少数の人の気まぐれともいえる行動で、なだれ現象を起こし、時には思いもよらない化け物のような景気をつくり出したりする。どんなに著名な学者でも、この景気がいつどのぐらい変動するかを言い当てることは難しい。われわれは、この事業自得の原則を胸に、ささやかでも平穏な暮らしを願いつつ、景気が上向くことを願って日々精進しているのでしょう。この状態は、親が子供に危ないところに行ってはいけませんよ! と言っているようなものです。
ですから、預金を下ろして株に投資しなさいと言われても、天気予報よりも確率の低い景気の読みに身をゆだねるよりも、利息が少なくない預金を少しずつ積み上げるという涙ぐましい選択をしているのです。つまり、もうけが少なくても、より安全な資産運用を心掛けているだけで、資産を増やしたくないという意思表示ではないと思うべきです。ましてや、この預金は、国の借金の担保として差し出しているなどと考えているわけではないはずです。一方では膨大な資産が積みあがっているというのに、他方では、その運用力が不足しているという構図を作り替える道筋が見えれば、大きな付加価値が生まれるはずです。政治家の皆さんは何でもかんでも政治の力で解決できる思わず、また、国民も手足を投げ出して何もしないで補償を国に求めるという無責任な態度は改めるべきでしょう。もちろんそんな政治家も国民もいるとは思いたくありませんが、たまたま、国がどうなっても補助金が欲しいと言っている人を見かけるような気がするのが心配です。ここらで思いっきりよく、お宝の運用方法を官民の知恵で編み出してはいかがでしょうか?
日本という国全体を人間の体に例えると、何らかの理由で体のどこかに痛みが生じると、その痛みを和らげるための治療を始めるのは、当然のことと考える人は多いと思います。しかし、その痛みの根本的原因を取り除かなければ、本当の健康体を取り戻すことはできないので抜本的な治療とは言えないでしょう。つまり、何を言いたいかというと、日本国という大きな体を未来に健康な形で残してあげられなければ、現代社会に生きているわたくしたちは、未来を語る資格はないに等しいというべきです。例えば、少子化問題一つとっても、「労働力が不足するから、子供を沢山産んでもらいたい」。だから少子化対策が重要だというのなら、爆発寸前の食糧問題を抱えている地球全体でみれば、解決の糸口を見出すのはそれほど難しい問題ではないはずです。根本的な問題は、大多数の人々がこの日本に生まれてきてよかった! と、心から思える社会であったなら、多少の我慢は容認できるように思います。そうした社会が実現できそうもないと感じているからこそ、無いより増な支援金で心を慰めているに過ぎません。これは例によってオヤジの受け売りですが。