斉吉商店(2)(気仙沼市)
四代目夫妻は新たに自社ブランドを立ち上げ、手ごたえを得る。素材や製法を吟味して作り上げたさんまの佃煮、「金のさんま」が販売と同時に評判になったのだ。東京のデパートにも定期的に出店するようになり、都内で新たな販売計画も決まっていた2011年。「震災の津波で、工場や会社、家も全部失いました。でも3日後、さんまを炊くたれが、瓦礫の中から見つかったんです」と常務。金のさんまは、注ぎ足しながら使う返しだれが味の決め手だ。非常用に冷凍しておいたものを、持ち出した従業員が車ごと津波に遭った。しかし奇跡的に、従業員も返しだれも生還したのだ。「再スタートが切れる!と、早い段階で前を向くことができました」。岩手の工場を間借りして2011年7月から作り始め、9月の新宿伊勢丹催事にこぎ着けた。なお震災を機に、廻船問屋業は親族に預け分社化を図った。
2017年は、再建した本社・工場、新たな直売・食堂部門「鼎・斉吉」が相次ぎ稼働。企業規模は縮小したが、自社ブランドを創造し、発信する力は大きく育っていた。代々の家訓を尋ねると、「『それぞれが初代のつもりでやりなさい』と言われてきました」。その時々で役立ち、喜ばれることを見極め、新しいことにもチャレンジしようということだ。吉太郎常務が目指すのは「食卓をトータルにカバーできるブランド」だ。「高価でなくても、いい食材、正直な食べ物は心身にいい。この環境にいる私たちが、日頃から実感していることです」。単に商品を売るのでなく、豊かな食卓、それを楽しむことの大切さまでをアピールしたいという。食品会社で小売りを勉強し、2015年に入社した常務は、すぐにネット通販を立ち上げた。加工業者としてはいち早い参入だ。
「コロナ禍に、やってよかったとつくづく思う。直接来てくださるっていたお客様が、通販で求められるようになって...」。それでも「この商売はオンラインだけでは成り立ちません」ときっぱり。対面販売で感じる人や地域とのつながり、会話の中には商品のヒントもある。「もっとお客様の生の声が聴きたいです」。ネットと対面と対面、双方の長所を生かしていくつもりだ。本社工場を覗かせてもらった。小学生の社会見学に、作業場を見渡せるガラス窓のコーナーがある。奥の方に、包丁を握る純夫社長の姿が見えた。「家内工業なので私も入ります、雑用係ですが(笑)と常務。この気仙沼の地で100年。業態を変えながらも、地域と人とに深く関わり、実直かつ前向きに歩む斉吉商店。毎日の食卓をもっと大切にしようと思った。