斉吉商店(1)(気仙沼市)
魚の町気仙沼で、業態を変えながらも昨年創業100年を迎えた斉吉商店。数年前にオープンした、港を一望できるレストラン「鼎・斉吉」を訪ね、五代目で常務の斉藤吉太郎さんに話を伺った。「記録が残っている1921年(大正10年)を創業としていますが、実際はもっと前。薪や炭などに始まり、後に食料品も扱いました」。初代・吉之進は、日露戦争の日本海戦でバルチック艦隊と戦った経験を誇りにしていた。退役後に横須賀で結婚し1909(明治42年)、長男の藤太郎が誕生。その後気仙沼に戻り、斉吉商店を始めたという。この店は常務の祖父で三代目・健一さんの頃まで続いたが、一方では新たな「斉吉」が稼働していた。
二代・藤太郎の妻みさほは、学業優秀で高等女学校を出た才女。自分の能力を生かせる大きな仕事がしたいと、商店は夫らに任せ、自ら回船問屋を起業する。「いわゆる船主代行業。男社会に飛び込み、嫁ぎ先の業態を変えてしまった」。気仙沼港では多くの漁船が水揚げし、再び漁に向かう。その際"よろずお世話係"的に、魚市場との調整や諸手続き、乗組員のケアなどを行うのだ。その日のうちに出向する船員たちには、休憩所として自宅を開放し、食事や風呂でもてなした。「子供の頃の記憶では、知らない人が大勢出入りし、祖母の貞子がいつも忙しそうでした。そのうち三代・健一も回船問屋業に専念。
みさほの血を引くだけに仕事熱心で、いつも母子で語り合い、「商売は面白い」が口癖だった。しかし彼は、海に頼るだけではダメだと、陸の仕事も始める。1989年(平成元年)設立の斉吉食品部。水産加工部門を任されたのが、四代目となる長女和枝と現社長純夫だ。常務が代々の写真を見せてくれた。みさほさんと顔立ちが似ていると伝えると、「ええ、何でもチャレンジする性格も似ているのです」と笑う。「新工場が完成した2001年、純夫さんが社長を継ぎ、和枝さんが専務として商品開発と営業を担当。ホテルや大手チェーンへの半製品卸も行って工場はフル稼働した。「ただ、卸は薄利多売で思うようには伸びなかったようです」。