金源堂(1)(仙台市青葉区広瀬通り)
祖先は伊達領岩手の金ヶ崎という「金源堂」は、賑わう街中で、店舗の周りは"静"の空気が漂う。「敷居が高いと思われるのは、入口の造りのせいです。お気軽にどうぞ」。気さくな六代目金ヶ崎政伸社長と、父で五大目伸二氏らが、歴史や思いを語ってくれた。金ケ崎家は清和源氏新田義貞の末えいで、伊達家に仕えていた。下って19世紀初頭、初代金ヶ崎八右衛門は伊達家に刀剣を納める御用商人だったが、1811年(文化8年)に古美術商を始める。
この時を創業年とし、代々211年もの商いの歴史を綴ってきた。「初代は玉澤横丁(現在の青葉区国分町)に店舗兼屋敷を構え、二代目からここに出店しました」と伸二さん。1873年(明治6年)に継いだ二代・源兵衛は、廃刀令を見越して骨董に専念。目利きで博識だったことから"金源さん"の愛称で慕われ、これが屋号となる。三代、婿養子の喜蔵は商才があって、大の普請好き。
「大工のノミの音を聞かないと落ち着かなかった(笑)」。大正年間、全盛期を迎えた喜蔵は、間口8間・総檜吹き抜け2階建ての大店を構える。堂宮師の翁金六氏が手掛け、巨大な彫刻看板も話題になった。1952年(昭和27年)、焼け跡に今の店を立てたのが四代・二郎。「父は好奇心旺盛で勉強熱心。書簡の切れ端に藤原定家の筆跡を見抜くなどし、業界では一目置かれていました」。