七北田川と塩釜港を結んでいた「御舟入掘」
御舟入堀は、かつて七北田川の河口と塩釜港を結んでいた。結んで「いた」なのは、1967年から始まった仙台新港の建設によって、七北田川の河口から蒲生北部が埋め立てられたからだ。現在は、砂押川の河口付近から塩釜港までになっている。木挽掘と比べて内陸を通る御舟入堀は、住宅や道路の横を平然と通っている。ところが、塩釜港の近くになって、急に視界開けた。木挽堀とは違って、徐々に堀の幅は広がり、海が近いことを容易に予見させた。舟で賑わう堀を眺めながら、運河の魅力を伝える活動を行う市民団体「貞山運河倶楽部」の上原さんが「世界でも運河は船の停泊所として使われているところが多い。
運河本来の使われ方をしているね」と説明してくれる。じつは震災後、御舟入堀でも新たな動きが生まれていた。2016年、「『御舟入堀』を新たな観光資源として地域振興につなげ、次代へと伝えていく」ことを目的に、「御舟入堀」プロジェクトが設立された。代表を務める武田せつ子さんは、㈱武田のささかまぼこの女将を務めている。「会社の目の前には、御舟入堀が流れています。震災後、この遺産に光を当てて活用することこそ、真の地域創生ではないかと思い、活動を始めました」。運河に関するさまざまな試みを行い、2019年、「みなと塩竃・ゆめ博」で「小舟で巡る御舟入堀遊覧会」を企画した。「アンケートでも、「常時行ってほしい」という要望が多くありました。やっぱり運河の魅力を高めるためには、船に乗って遊ぶことなんですね」。
上原さんは「貞山運河をドイツで見たエムシャーパークのような場所にしたい」と話す。産業用水で汚染されたエムシャー川の自然を回復させ、重工業都市として栄えた歴史遺産の保全と活用を進めることで、世界中から多くの人達が集まるようになった。震災後の2013年、宮城県は「貞山運河再生・復興ビジョン」を発表した。基本理念は「運河群の歴史を未来へと繋ぎ、運河群を基軸とした「鎮魂と希望」の沿岸地域の再生・復興」。今の貞山運河をたどると、そのビジョンを後押しするように、あちらこちらで運河の魅力が見直されていることに気づく。政宗公の時代から、長い年月をかけて造られた日本最長の運河。この流れに夢を託した人々の思いが、今再びつながろうとしている。