お母ちゃんの「おもてなし」
お母ちゃんは、人に喜ばれることが大好きで、そのためには家庭を多少犠牲にすることも厭わない。その点はボクもオヤジも認めざるを得ないので、それが「おもてなし」の心の表われだといわれても納得できる。しかし、家の中でのことに限って言えば、ちょっと、いやかなりニュアンスが違ってくる。オヤジの解説によると、お母ちゃんが普段よりもにこにこして、サービスも些か過剰と思われるときがある。そんな時は、「おもてなし=表がない」、つまり、「裏がある」というシグナルである。そんなとき、オヤジは大方の察しはついているのだが、たまに、ちょい悪爺さんよろしく、とぼけて見せると、お母ちゃんは必ず二の矢を放ってくる。そのやり方がまた姑息であるが、解り易いのでオヤジもすぐに乗ってしまう。そのやり方というのは、自分が疲れていて、夕食をつくるのが嫌な時などには、オヤジに向かって「なんか言った!」といってくる。するとオヤジは、「何も言わないよ!」と答えるが、あまりからかうのも可哀そうなのか、すぐに、「何が食べにいくか!」という話になる。つまり、お母ちゃんの「おもてなし」は「裏がある=魂胆がある」ことを意味しているのだという。
ただ、お母ちゃんがこうした戦法をとるのには訳がある。気が短く四角張っているオヤジは、何時にお風呂に入って、何時から楽しみにしているテレビの番組を見る、というふうに時間割をきっちりと組んでいるので、食事した帰りにどこかに寄り道して、お風呂に入る時間が短くなってしまったとき、オヤジはいつも不機嫌になる。そんな時、何か食べに行こうといったのはお父さんでしょう、という方便を残しておきたいということのようです。本当にそこまで計算しているかどうかはわかりませんが、そばで見ているボクにとっては、どうでもいいことで、いったい何年そんなことを続けているのという感じです。もしかすると、これはオヤジとお母ちゃんにしかわからない、一種のルーティーンみたいなものなのかもしれません。お互いにそれで気がすむのであれば、無理に直さなければならないというほどのこともないので、ボクも黙ってきいていることにしています。確かにルーティーンが壊されるのは気持ちのいいものではありませんし、わずか15分程度の時間調整で済むわけですから、特に問題はありません。
ところでボクは、「おもてなし」とは何かということをよく知りません。おもてなしは日本古来のものだと聞いていますが、一般に言うサービスとも少し違うようですね。サービスは、有料のものもあれば、無料のものもあります。「おもてなし」は有料か無料かといえば無料ということになるのでしょうが、無料のサービスが「おもてなし」か、といえば、それもちょっと違うような気がします。ウィキペディアによりますと、「おもてなしとは、心のこもった待遇のこと、顧客に対して心をこめて歓待や接待やサービスをすることを言う。「もてなし」に『お』をつけて、丁寧にした言い方である。」と書いてある。この説明は、意外とそっけなく感じます。このような内容であれば、どこの国にもありそうな気がして、特に日本の「おもてなし」を称賛する必要もないように思うのですが? もしかすると、どこの国にもあるにはあるが、日本では無料で受けられるサービスが諸外国では有料であったり、日本の無料サービスが特別手厚いということなのでしょうか。たぶん、もっと奥の深いもののような気がしませんか。