青麻神社沿革(その2)
延享三年(1746年)伊達宗村公を始め、宝暦八年(1758年)重村公、文政元年(1818年)斉村公、慶応三年(1867年)慶邦公等藩主の御崇敬と御参詣もあり、崇敬者は東北全域、関東・信越さらに北九州にも及んでおり、今も各地に青麻信仰の石碑や御分社を見ることができる。
享和年間に社殿を再興し、明治八年五月郷社に列格。大正五年より、大正御大典記念事業として社殿の大増改築を行い、神域荘厳を加える。昭和四十三年不慮の火災に遭い、社殿・随神門・神楽殿を失うも、同四十五年に現社殿を完成する。昭和五十八年四月二十七日、泉市(現仙台市泉区)山林より出火の山林火災は、折からの強風に煽られ三千三百ヘクタールの山林を焼失する未曽有の災害にも、神威の御加護により社殿及び神楽殿は類焼を免れた。
現社務所は昭和五十九年四月、現随神門は平成十二年九月の再建になる。昭和四十に年、県の明治百年記念事業として、付近の丘陵地一帯が「宮城県民の森」に指定整備され、大都市近郊にありながら人々の憩いの森として保護育成されるに至るは、真に御神縁の発露と畏むものである。『青麻神社略誌(青麻岩戸三光宮・青麻権現社)より』