熊野那智神社
拝殿のある高台から望むのは名取市の閖上地区。かつてはお浜降り神事として、二つの神輿が閖上浜に向かいました。屈強な担ぎ手達の勇ましい姿が目に浮かぶようです。伝説によれば、この神社は養老3年(719年)、閖上の一漁夫が海底からご神体を得て、高舘山頂に宮社を建て羽黒大権現として奉仕したことにはじまる。その後、那智の分霊を合祀し、熊野那智神社と改称しました。現在は作神・豊漁の神として広く信仰されています。この神社も、東日本大震災で大きな被害を受けました。その年の4月には宮司がなくなり、その後、神社の管理をしているのは氏子たちです。皆で力を合わせて拝殿の再建や周囲の整備を進めました。
以前は、拝殿の辺りは鬱然としていましたが、現在は明るく、眼下には胸のすくような眺めが広がっています。最近は、朝早くから30代から40代の人々が出勤前に参拝しているそうです。「この拝殿の周囲の朝の気持ちよさは、口では言えないくらいですから」と氏子総代の佐伯さんは陶然とした表情で話しています。初詣にも人々が集まり、翌年の夏には社務所でお祭りを催しました。その後も、見晴台の改築やしだれ桜の植樹、お浜降り神事の復活など、訪れる人々が楽しめる企画が考えられ、実行されています。その新しい気運に呼応するかのように、御神木が蘇りました。拝殿の前の小さな坂を少し下ったところにある、雄の銀杏の木です。
その高さは約7mで、樹齢は1300年以上と言われています。「数年前から枯れ始め、半分ぐらい枯れたとき、もうだめなのかもしれない、と思っていました。それでも、毎日、朝の拝殿の太鼓を叩く前に、お元気になってください、と声をかけていました。すると、たくさんの芽が出てきて、とても驚きました」と佐伯さんは当時の感動を思い起こしながら話しています。その時の芽は、今は若々しい枝になっており、その先で、しっかりとした葉が健やかに風に揺れています。大震災を経て、人々が寄り添い、助け合う大切さが見直されました。この時代の在り方を象徴するような、神気と人々の活力が漲った新しい熊野那智神社。その確かな温もりのあるパワーを感じてほしい。