正義は必ず勝つのか?
オヤジもお母ちゃんも、「正義は必ず勝つ」と信じて生きてきたようです。でも、それって本当は嘘ですよね。本音で言えば「勝ったものが正しい」というのが正解ではないでしょうか? そう考えれば、なりふり構わず勝とうとするのも理解できます。しかし、その考え方にも矛盾があるとボクは思います。なぜなら、戦争は正義を貫くために戦うわけですから、どんなに理不尽なやり方でも戦争で相手を負かしてしまえば、その行為は正当化されるわけです。一旦始まってしまえば、相手が倒れるまで続ける必要があるということになります。武力によって簡単にねじ伏せられてしまう正義なんて、紙風船にも劣る薄っぺらなものなのでしょうか? 銃刀法違反で取り締まる警察もいない、裁判所はあってもほとんど機能しない。そんな物騒な世界で暮らしている極普通の人々が拠り所にしているささやかな正義はもう役に立たないのでしょうか。よく考えて見ると、世界中の善良な人々がこぞって、この正義感を捨ててしまったら、武力で相手をねじ伏せ手に入れた「正義」自体、何の役にも立たなくなるということを考えないのは愚かなことです。
すなわち、武力を使って手に入れた正義は、一般庶民が今の暮らしを、いま抱いている正義感を継続して持ち続けるという前提においてのみ機能するのではないでしょうか。こうした状況は例えていえば、大きな災害で、人々の命や財産が失われれば、生き残った企業は顧客までを失ってしまうので、商売も成り立たなくなるはずですよね。そんな簡単な論理をこのボクが解くまでもないことは重々自覚しているつもりです。でも、オヤジの論理に従えば、「知っていても、知らないふりをしているのは、知らないのと同じだ」ということになります。熱くなって暴走し始めた人には、正論はもはや通用しないのは、今も昔も変わりないのかもしれませんが、だからといって何もしないのは余りに無責任なように感じます。ここはひとつ「平和であることの価値」を思い知らせるというのはどうでしょうか。例えばスポーツやコンサート、グルメ等楽しい情報を今以上に発信し、羨ましがらせるのです。そうすれば、楽しいことには一定のルールやマナーがあり、これを尊重することでより楽しい毎日が保証されているのだということに気づいてもらう。
かなり幼稚な考えのように思われるかもしれませんが、ボクとしては、クラシックではありますが、今でも通用する戦略だと思います。つまり、この作戦は、「四面楚歌作戦」や「天の岩戸作戦」です。戦いというものはすべからく、挙げたゲンコツの降し処を探り始める時期が必ず来るものです。もしかすると、そのきっかけを誰かがつくってくれるのを待ち望んでいるかもしれません。とはいっても、この方法にも大きな難点があります。それは、皆を説得し"セーノ"という号令をかける人がいなければ、みんなお先にどうぞという姿勢を崩さないことが予想されるからです。となればやはり、今の枠組みを変えることが現実的だということになるでしょう。これにも、誰かの強いリーダーシップが必要になるでしょうが、それを担うのは、強大な拒否権を持っている5ヵ国のリーダーたちが話し合い、「戦勝国の論理=正義」というルールを取り払うことだと思います。具体的には拒否権を無くし、国連加盟国の平均人数で1票の投票権とし、これに比例して5大国の投票権とするという制度にする。その後数年ごとに投票権の数を減らしていく。どうでしょうか。