勤勉な主婦の勤め
今日は珍しく朝の段取がよかったのか、オヤジはいつもより早めに自分の机に向かいました。段取りといっても、自分のコーヒーカップを洗い、テレビのリモコンをオフにし、後はエアコンを止めるべきかどうかを判断する。お母ちゃんが仕事に出かけた後であれば、迷わずコアコンもオフにするが、お母ちゃんが洗濯モノを干しているので、"エアコンは消していいの"と、一応声をかけました。すると案の定、お母ちゃんは、エアコンは消してください。テレビも消してください。誰もいなくなったら必ず全部消すように、というお説教の嵐が天井から雷のように落ちてきた。オヤジは、この説教に耐えかねて、"はい"と一言いえばすむものを...と、愚痴っていました。オヤジにしてみれば、暑い中、洗濯モノを干しているお母ちゃんはさぞ暑いだろう。だからもしかしたらリビングで少し涼んでから出かけるのではないか!と忖度したつもりで言ったのですが、お母ちゃんはそんなことにはお構いなしで、「誰もいない部屋には、電灯もテレビもエアコンもいらない」というステレオタイプの原則論をご丁寧にのたまうのでした。
これはお母ちゃんの主婦としての威厳の表われなのか、それとも単なる癖なのかはわかりませんが、こういう場面になると省略したり、別の言い方をすることなく、フルバージョンで声高に発声します。ボクとしては、お母ちゃんの心意気がよくわかっているだけに、オヤジにはもう少し謙虚に耳を傾けてもらいたいのですが、オヤジはオヤジで、タコに耳ができてしまい、今ではどの耳で聞いたら新鮮に聞こえるのか研究しているところだと嘯(うそぶ)いています。でも今日のオヤジは、お母ちゃんの有難い説教を一通りきいたのち、「それはわかっているのだが、気温があまりも高いので、出かける前にクールダウンしていった方がいいのではと思い、敢えてエアコンを止めていいのか? と聞きたのだと言ったら、さすがお母ちゃん! "ありがとう"と素直に応えていた。怒りに任せて、取り返しのつかない行動に走ったとき、とってつけたような大義名分を掲げて、相手を納得させようとするより、まずは謙虚に謝り、相手の怒りをクールダウンさせ、然るのち和解策を協議する。これは、国家間の対立でも、夫婦間のたわいのない口げんかでも同じことのような気がします。
オヤジの性格もお母ちゃんの優しさもよく知っているので、二人のこんなやりとりには驚くことはありませんが、お母ちゃんにして見れば、「エアコンは消していいのなどというのは愚問中の愚問ででしょう。何度言ったら解るか!」 という気持ちだったわけではないはずです。炎天下で洗濯物を干しているさなかに、当たり前すぎることを言われたので、反射的に否定的な言葉がつい出てしまったのでしょう。一方のオヤジは、もし、お母ちゃんが洗濯物を干し終えてリビングに下りてきた時、エアコンがついていたら、"どうして誰もいないのにエアコンをつけっぱなしにしているの? といわれそうなので、その時、お母ちゃんが涼むために消さなかったというと、単なる消し忘れたことを弁解していると思われそうなので、先に雷を浴びた方が心の傷は小さいと踏んだのでしょう。そういう意味では、今日のオヤジの作戦はまずまずといったところかもしれません。こうしてみると、お互いに解り合えないことを嘆き悲しむよりも、どうしたら解り合えるのかを模索する方がよほど楽しい生き方になるのかもしれませんね。