一点豪華主義
ボクはオヤジの中で生きているので、それほど気にしていないのですが、お母ちゃんにしてみればいつも心がけていることなので、それをやらないと、とても心が痛むのかもしれません。それというのはほかでもなく、ボクの遺影の前にいつも備えてくれる豪華な「リンゴ」のことです。新しいリンゴを箱から出して冷蔵庫に移し変えるとき、リンゴが大好物のボクに供えてくれるのがお母ちゃんのルーティーンになっています。オヤジもリンゴが大好きだということもあるのでしょうが、わが家ではリンゴだけはほとんど切らすことがありません。でも、ごくまれに、リンゴが不足することがあります。もちろん、どこの店を探してもリンゴがないというわけではありませんが、目当ての種類のリンゴは、かなり高額で毎日食卓に並べるという分けにもいかないようです。リンゴ好きのオヤジは、どんな種類でも構わないのですが、お母ちゃんにして見れば、ちょっと買うのを躊躇ってしまうのでしょう。コロナのせいもあるのでしょうか? 今年は例年と比べ外に出る機会がめっぽう減っているので、今年は「お供えのリンゴ」が切れてしまったようです。
オヤジには内緒にしていたのですが、実は先日、お母ちゃんが"ムサシごめんね"と呟きながら、「リンゴジュース」を1瓶そなえてくれました。ボクがリンゴを好きなのは、味よりもむしろ歯応えのある硬さの方です。お母ちゃんも当然そんなことは承知のはずですが、それでも備えてくれたことがとても嬉しくてオヤジに話しました。するとオヤジは、「実はそのことでお母ちゃんに抗議をしたんだよ」と言い出しました。しかし、この話は少しおかしいですよね。ボクはオヤジの中に同居しているわけですから、お母ちゃんと喧嘩しようが口論しようが、お母ちゃんとオヤジの話は一言一句洩らさず聞いていますが、オヤジがそんな抗議をしたなんて全く知りません。そうです。この話はオヤジの作り話なのです。しかし、うっかり言ってしまったオヤジを責めるのもおとなげないので、"ふぅ~ん" と聞き流すにとどめることにしました。確かあの時は、ボクに供えるリンゴの話ではなく、自分がリンゴを食べたいので、「(別のリンゴ=種類は問わない)でもいいから買おうとオヤジか言い出しただけ」というごく単純なものだったはずです。
でも、なぜオヤジがそんなつまらない嘘をついたかといえば、あのとき(マーケットのリンゴ売場の前でリンゴ買おうとお母ちゃんにたのんだ時)のオヤジの本音は、逆だったはずです。もしあの時、オヤジが「ムサシにお供えするリンゴを買おう」と言えば、いつものお母ちゃんなら、「お父さん! 自分が食べたいだけでしょう」といつものお母ちゃんなら水を差すはずだと踏んだのだ。しかし、その戦略は見事に外れてしまい、あえ無く敗北を認めてしまったというのが真相だとボクは推察します。それをボクがリンゴジュースの話などを不用意にしたものだから、トンチンカンな答えをしてしまったのでしょう。つまり、図らずも、オヤジはお母ちゃんにもボクにも、心にもないことを言ってしまう羽目になったというわけです。この程度のことは仕事ではしょっちゅう経験していることですが、さすがのオヤジも、"策士策に溺れる"といったところでしょう? でもボクは、いつもながらのお母ちゃんとオヤジの気遣いには改めて感謝したいと思います。皆さんのご家庭でも、お互いの思いやりが裏目に出てしまうことってありませんか?