涌谷町の桜
江戸時代には涌谷伊達家の居城があった場所である。高台の一番高い位置には、四代・伊達安芸宗重を祀る句や神社が鎮座する。この城山公園の登り口から桜の回廊は始まり、園内には約250本、また眼下に流れる江合川左岸にも樹齢100年のソメイヨシノが川風にそよぎ、天守を模した涌谷町立資料館とともに日本の春らしい華やぎある光景が繰り広げられる。
資料館から涌谷神社へ向かう公園中央には、日本三大巨木桜といわれる「山高神代桜」(山梨県北杜市・樹齢約2000年)、「根尾谷の薄墨桜」(岐阜県本巣市・樹齢約1500年)、「伊佐沢の久保桜」(山形県長井市・樹齢約1200年)を親木とする桜が記念植樹されているのも見逃せない。涌谷町といえば忘れて行けないのが、日本で初めて「金」を産出した地であること。749年聖武天皇の時代、奈良東大寺の大仏の完成近づく中、鍍金(金メッキ)用の金が足らず、大仏の完成への道は危ぶまれていた。
そのような中、涌谷の黄金山周辺の川で砂金が見つかり、当時の陸奥主だった百済王敬福より金九百両(約13㎏)が朝廷へ献上されるに至る。その後も朝廷がこの地方での黄金調達を求めたことで、谷(沢)という谷が砂金を採る人々で湧(涌)きかえったことが、涌谷の地名のおこりといわれている。国内の金産出による聖武天皇の喜びは大きく、年号も「天平」から「天平感宝」と改まり、大赦や税の免除なども行われたほど。当時、越中守だった大伴家持も万葉集に「天皇の御代栄えむと 東なる陸奥奥山に 金花咲く」と詠んでいる。このような歴史が日本遺産に認定されている。今から1270年前、金花咲くと呼ばれた地・涌谷では、今年も美しい桜の花々が誇らしげに春を謳う。