もう年賀状の季節?
10月の声を聞くと、もう各地方の郵便局で年賀はがきの販売が開始されます。今年が終わるまでまだ3カ月もあるというのに、そんなにせかせなくてもよさそうに思うのですが、何故かこの世の人たちは先を急ぐ。新しい年を迎える準備といえば聞こえはいいが、少し急ぎすぎではないでしょうか。しかも、来年のことを言うと鬼が笑うというのに、平然として「新年あけましておめでとうございます」などと書いて年内に投函する。人間はいつごろからこんなに嘘つきになったのでしょうか。オヤジの知り合いの人などは、12月25日に年賀状を書き終えて投函した日にあの世に旅立ってしまったそうです。あの世から届いた年賀状などと嘯いている人もいるようですが、しゃれになりません。でも、考えてみるとこの程度の嘘は誰にも迷惑をかけないので、それほど目くじらを立てることもないのかもしれませんが、嘘をつかなければ社会が成り立たない状態ではちょっと悲しいと思いませんか。例えば、政治家の先生がよく口にする、「万全を尽くす」という言葉はとても信じられません。こうした言葉を聞くと、ボクたちは「完璧」という意味に受け取ります。
ところが、当のご本人は、「一生懸命」「精一杯」という意味で言っているのでしょうから、その結果が必ずしも「完璧」であることを保証しているわけではないのかもしれません。しかし、「万全を期すので全く心配ありません」というのはどうでしょう。ここまで言われれば、正しく太鼓判を押されたような気分になり、信じてみようと思うのが庶民感覚というものです。こうした固い約束をいとも簡単に破っても平然としているお偉いさんが多数いらっしゃる。いや、むしろ、そうした人だからこそお偉いさんになれたのかもしれませんね。でも、翻って考えてみると、この世の中は嘘がなければ成り立たないともいえるかもしれません。正直と正直がぶつかった場合、どちらも一歩も譲らずギクシャクしますが、嘘がある程度混じっているところで、妥協の余地が生まれるという場面もよく見かけます。例えば、自己主張をするときは、多少は妥協する余地をもって対峙しているので、最終的な落としどころは、かなりセットバックしたところで落ち着くことになります。これは、いわば正直者がつく合理的な「嘘」ともいえるでしょう。
ことほどさように、世の中は「嘘」であふれていますが、でも、「本当」がなければ「嘘」という言葉も必要ないわけですから、本当のことも確かにあるはずです。年賀状の話で言いますと、お母ちゃんは、さすがに店のお客様向けの年賀状は年内に出しますが、個人的な友人や知人には、年が明けてからゆっくり書きます。その理由を聞くと、「明けもしないうちに、おめでとうなどというのは気分がのらない」という返事が返ってくる。本当はずぼらのなせる業とわかっていても、なるほどと感心したふりをするのは、狐と狸のばかしあいのようなもので、どちらも嘘つきですよね。芦田愛菜ちゃんと梅沢富雄さんのコマーシャルでの掛け合いもこのタイプで、気分良く騙し、気分良く騙されたふりをして見る人を楽しませている。ここまで来ると、「嘘」は「忖度」や「気遣い」「優しさ」に近いかもしれません。オヤジに言わせると、嘘には3つのタイプがあり、一つは、絶対についてはいけない嘘、二つ目は、方便としてつく嘘、三つめは、人を楽しませる嘘だという。でも、この説には、"嘘は全て方便だ"という反論がありそうですね。