幾らあっても足りない予算
最近は、医療機器の進歩や新薬の開発が進んでいることもあり、人の寿命がどんどん延びています。幸せの定義は千差万別であると言っても、長生きすることは幸せの第一条件であることは今も昔も変わっていないのではないでしょうか。そのため、人類は病気を根治することが人の幸せに繋がると信じ、研究に研究を重ねてきました。ところが、新薬の開発によって救われる命と引き換えに、医療費という大きなコストを負担しなければならなくなりました。
自分(患者)の立場で考えると、医療保険によりこのコストをカバーできないものかと考えるのは当然かもしれませんが、その保険を支える保険料を負担するのも患者あるいは将来の患者です。つまり、高額の新薬などによって救われた命を維持するためには、高額の医療費を負担するために、食品その他の生命維持費を抑えなければならないことになり、究極的には命を失うことにもなりかねません。私たちは、この議論に行き詰ると、政治や政治家を悪者にして鬱憤を晴らしてきました。
中には苦し紛れに、税金を上げればいい。無駄を省けばかなり予算が捻出できる。働ける環境を整備して国民の所得を増やせばいい。等々。しかし、現時点ではいずれも実現が困難であることは薄々気がついている。昔の諺に「医者にとられなければ坊主にとられる」というのがありましたが、現代社会では、「病気で死にますか?それとも餓死して死にますか?」という構図になっている。この難問に明確な答えを出せるのは、結局のところ自分しかいないのではないでしょうか。