オヤジの背中が小さくなったのか、それとも...
わが家では、動物が可愛らしく振舞うシーンや仲良く遊んでいる姿がテレビに映し出されると、みんなで目を細めて和やかな雰囲気になります。特に動物好きのお母ちゃんは、動物の番組には目がなく、自分が感激すると大きな声でオヤジ呼び、無理やりテレビを見るように促します。そんな風ですから、当然、ボクと同じのラブラドール・レトリバー(黒ラブ)が出ると、「お父さん早く早くとせかせるものだから、例えトイレの途中でも見逃さないように駆けつけたりする。そして、その番組が終わると必ず、ボクの話になります。それはボクとしても光栄で嬉しい限りなのですが、いつしか、「ムサシはこうだったとか、ムサシも同じだった」という過去形で語られます。つまり、ボクがこの世で暮らしていたときのことを話しているわけです。でもボクは、以前はあの世(今の戸籍のある場所)では暮らしたことはありませんでしたが、今は、両方を自由に行き来していることと、姿がこの世の人には見えないこと、年を取らないことなどが違うだけで、この家の家族であることには何ら変わりありません。
いってみれば、将棋の「歩」が「成金」になって、動きの自由度が増したという程度の実感しかありません。現に、今でも毎晩オヤジの布団に潜り込んでぐっすり寝ています。ついでに申し上げておきますと、最近はあちらの世もかなり環境が整備されて、意外と住み心地がよく、中にはあの世をホームグランドにしている人や動物もたくさんいます。そのためか、刃物や銃を持って刃傷沙汰を起こす人もいませんし、泥棒などもめったにいません。そんなわけで、お釈迦様は昼寝をしていますし、閻魔大王は恵比寿様のような笑顔で入国者の受け入れにあっています。もしかすると、閻魔大王はハクション大魔王より優しい神様なのかもしれません。人間様は、あの世と呼んでみたり、あるいは天国と呼んでみたり、かなりイメージの違う呼び方をしているようですが、それはともかく、一度来てみればこちらの良さが分かります。といっても、入学試験や抽選会があるわけでもないので、いつかは必ず来られます。ですから、皆さんは今の暮らしを存分に楽しんだ後からでも、十分間に合いますので、ご安心ください。
幸い、ボクたちは十分に活躍したと認められたのでしょうか。あの世とこの世を自由に行き来するパスポートを取得することができましたが、この世で活躍している皆さんは、そう簡単には卒業させられないとお釈迦様が判断されているのでしょうから、もう少し世の中に貢献するように心がけてください。相棒であるわが家のオヤジなども、まだ卒業する資格がないので、もう少し貢献しなければと思い、仕事に精を出しているので、ボクも時々手伝っています。オヤジも今の生活スタイルに満足しているようなので、もうしばらくは応援したいと思っています。今日はあの世の状況についてご紹介しましたが、実は、まだまだ素晴らしいことがたくさんあります。話したいのは、やまやまですが、あまり魅力的な内容をお話ししますと、早くあの世へ行きたいという人が続出する恐れがありますので、多くを語らないようにするようにと、あの世の政府関係者から釘を刺されているものですから、この辺で止めておきます。とにかく、ボクが言いたいのは、姿が見えるかどうかではなく、あの世とこの世を自由に行き来できるパスポートがあるかどうかで区別してもらいたいということです。