文人たちの心を癒した宿-作並温泉 元湯 鷹泉閣 岩松旅館
「柿くへば 鐘が鳴るなり法隆寺」-知らない人がいないほど、あまりに有名なこの句を詠んだのが正岡子規。愛媛県松山市に生まれ育った子規は漢詩や映画に親しみ、長じて文明開化の明治時代で指折りの文学者と位置づけられる。俳句・短歌に限らず、詩や小説評論など日本の近代文学に大きな影響を与えた文人だ。著作『はて知らずの記」に登場するのが、作並温泉「元湯 鷹泉閣 岩松旅館」である。芭蕉の没後200年の年、子規は足跡をたどる奥羽への旅に出る。上野から仙台に入り、鹽竈神社や瑞巌寺などを詣で、また仙台へ戻って青葉城址や大崎八幡を巡ったのち、作並温泉に宿泊する。
そのときのようすが次のように書きのこされている。「作並温泉に投宿す。...温泉は廊下伝ひに絶壁を下る事数百級にして漸く達すべし。浴槽の底板一枚は即ち凉々たる渓流なり。蓋し山間の奇泉なりけり。」次のような句も詠んでいる。「夏山を 廊下伝ひの 温泉(いでゆ)かな」。この旅で詠んだ句を刻んだ句碑は、東北だけで約130にも及ぶ。無類の旅行好きだった子規だが、結核を患っていた。当時の結核は死の病と恐れられており、病の療養もかねてか、いくつもの温泉地を巡っていた。先代の奥座敷と呼ばれる作並温泉の岩松旅館は、開湯1796年の歴史ある宿で、岡本太郎の父である岡本一平、吉田茂の側近で初代東北電力会長だった白洲次郎等、多くの文化人が宿泊した。
自然湧出掛け流しの湯は、当時の面影を残す4つの天然風呂、女性専用清流風呂、そして男女1ヵ所ずつの大浴場「不二の湯」と、趣の異なる六つの温泉が楽しめる贅沢さである。しっとりなめらかな湯は、美女づくりの湯と称される。開湯以来変わらない自噴掛け流しの天然風呂からは、広瀬川の渓谷を眼前に望み、冬の雪見風呂はもちろん四季の移ろいを堪能できる。特に大浴場・不二の湯は「ひと風呂3年延寿の湯」と呼ばれるほど。和食中心の料理は「五味(甘味・辛味・酸味・など)五色(赤・青・黄など)五法(焼く・煮る・蒸すなど)を旨とし、これを効果的に組み合わせることで、美味と健康を両立させた食を提供している。部屋食と和ダイニングでの食事を選択できるのもうれしいところ。