仙台味噌(その1)
みその起源については、中国から醤(ジャン)・未醤(みしょう)・豉(くき)として伝わったという説、また高麗醤として朝鮮半島から伝わったという説などいろいろあります。しかし、大豆や米、雑穀を軟らかく煮たものに塩と麹を加えて、発酵させた日本固有の大豆発酵食品として発達したという説が有力です。奈良時代に常食の必需品となり、室町時代に一般庶民に広がったという。仙台味噌は仙台藩主・伊達政宗が軍糧として造らせたものが始まりとされ、後に赤みそすべてを「仙台味噌」と呼ぶほど、品質、名声ともに普及しました。
特に今から四百年ほど前、豊臣秀吉の朝鮮出兵に、政宗が参加した折、他藩のみそは腐敗してほとんど食用にならなかったが、仙台味噌は少しも変質することがなかった。請われて他藩に分け与えたことから、一躍「仙台味噌」の名が高まったと伝えられています。藩政時代、諸藩では武器、軍用金、米、塩、みそなどを城中に備蓄することが慣わしとされたが、政宗は単に非常時に備えるばかりでなく、常に城中の糧とするため、みそ醸造設備を設けて作らせていました。これは「御塩噌蔵」と称され、日本における工業生産みその始まりとなりました。
また、町方のみそ醸造業者の指導と保護にも努めたと記録されています。宮城県味噌醤油工業協同組合は昭和22年に設立され、以来御塩噌蔵を元祖とする工業生産みその研究開発や衛生管理指導を行ってきました。組合は古くは藩政時代の仲間講に由来し、戦中・戦後の食糧統制時代を通じて、一貫して伝統の味を守りながら、改良と創意工夫を重ねて、よりよい製品を消費者に提供し続けています。仙台味噌は濃い山吹色で、光沢があり、塩なれした旨みと芳香に特徴があります。