お母ちゃんとオヤジの珍道中(南三陸志津川編 その2)
部屋に入って一休みした後、お決まりの宴会がばしまり、やがて最も退屈な個人の現況報告の時間がやってきた。案の定、会場がどんなにざわめいていても、めげずに自説を滔々と(本人はそうは思っていない)話し続ける剛の者が2人ほど登場し、全メンバーのスピーチの時間を半分以上強奪した。そこまでは予想をしていたことなので何とか許せる。しかし、オヤジは、それらとは別に今回は、全く知ったかぶりをする級友に腹が立ったようだ。
それは、ある友人が16年ほど前の高校同窓会の主幹についてのことでした。その年は昭和63年で、オヤジたちの同期生が全体同窓会の世話役を担当することになったのだという。そして、間の悪いことに、オヤジがその代表にさせられる羽目になり奔走した。同窓会は何とか無事に終わり、オヤジの記憶も薄れかけていたとき、自己紹介に立ったある級友が、その時の話を持ち出し、その時の代表をオヤジではなく、別の人の名前を挙げて感謝の意を表したのである。
オヤジが言うには、「それは勘違いと受け取るぐらいの寛大さはある。しかし、名前を挙げられた本人がその場にいて、否定をしなかったことが少し残念だった」という。それでも、後から世話役の一人が、オヤジのところに来て、あの発言は間違いだよね!と言ってくれたという。オヤジも、もともと取るに足りないことと思っていたので、気にも留めていないが、その年は、オヤジの生涯において、忘れられない年だったことと重なったことが、心に残ったのかも知れません。その年の出来事が何であったかは、もちろんボクはオヤジから聞いて知っていますが、それは内緒です。