聞いてみないと解らないものですね!
先日何を思ったのか、オヤジが突然変なことをボクに訊くのです。その内容は、「雪が降って、その上に人の足跡や自転車の轍(わだち)などができ、十分に溶け切らないうちに、また雪がうっすらと降り積もって、ガチガチに凍ってしまうことがよくある。特に日陰になっている部分は、転びそうでとても怖い。でも、ムサシはどちらかというと、こうした道を好んで通る。私(オヤジ)は、ムサシが好きなら何とかついていこうと頑張ってきた。幸い一度も転ぶことはなかったので良かったが、ムサシはどうしてそんな道が好きだったのか?」という趣旨の話であった。そこでボクはこう答えました。「僕は確かに凸凹で、しかもガチガチに凍っている道を歩くのが好きでした。そしてオヤジは苦手なことも知っていたつもりです。でも、そうした道を歩くときは特別注意をするので、転ぶことも少ないし、もし転んだとしても防御態勢ができているので、ダメージは最小に抑えられる。現に、オヤジが言うように、これまで一度も転んだことがなかったではないか!」と答えた。つまり、これはオヤジの哲学を尊重してのことでもあったのです。
するとオヤジ。なるほどお利口な答えだ! と、納得はしてはいないが反論するまででもないというあいまいなコメントと、にやりとした表情で応じました。オヤジにしてみれば、今更、こんな細かいことで議論するなど、何の価値もないと思ったのでしょう。しかし、考えて見ると、ボクとオヤジとの関係は、自分が相手を思いやることで相手も思いやりで返してくれる。そして、お互いに思いやりをより一層大事にしようとつとめる。その結果が今の「相棒」という関係に育っていったのだと信じています。例えば、オヤジから見ると「ムサシは散歩が飯より好きだ。だから、どんな時でもムサシの散歩は欠かさないようにしようと決めている」。でもボクは「散歩が飯より好きだというわけではない。でも、オヤジが喜ぶならどこまでも付き合ってやろう」といった具合である。一見するとそこに「大きなお世話」が介在しているようにも見えるが、実はそこが絆を強固にするうえでとても大事な部分である。テレビドラマでもよく見かける、おせっかいすぎるお祖母ちゃんお爺さんと迷惑がる孫娘のホットな関係などがその典型ですよね。
最初のオヤジの質問も、敢えて正解も求めるのではなく、ボクとの絆の太さを何となく確認したかったからに違いないと気がつきました。始めは"何をいまさら"とも思ったのですが、実はボクからも聞いてみたかったことだったような気がしました。今になって考えて見ると、一見無駄だったように見えることをどれだけ真剣に積み重ねてきたかが、絆の太さの肥やしになっていたということではないでしょうか。オヤジとお母ちゃんの関係も同じことでしょう。だからこ、「あの時ああすればよかったのに!」などという愚痴など決して口にしないのでしょうね。わが家では、話しの結果が吉と出たので安心しましたが、長年鬱積した思いが、爆発していたら大変なことになる事だってあるかもしれません。でも、何らかの形で一度聞いてみたいことってあるのかもしれません。でも、期待した答えが返ってこなかったとしても、今までの付き合いが全て無駄になってしまう分けではなく、場合によっては、一気に修復できる可能性もあるかもしれませんよ。"案ずるより産むが易し"ということもあります。要は過去よりもこれからが大事なのでは!