本当に困っている人とは?
衆議院議員選挙が終わって、もう一週間が過ぎました。当選して安堵の胸をなでおろしている議員さんもいれば、"戦い済んで日がくれて"という心境の人もいるに違いありません。しかし、本当の闘いはこれからとハチマキを締め直している当選組の皆さんも、これからいくつもの山を越えなければならないことでしょう。例えば、本当に収束しつつあるのか、それとも第6波を前にした嵐の前の静けさか、まったくわからない新型コロナの動向、この1年半の間に傷ついた経済の立て直し、それに、地球温暖化対策、諸外国に後れをとっているDXの促進等々。そして、喫緊の課題は持続化給付金の設計でしょう。前回の給付金のときもそうでしたが、「本当に困っている人にだけ給付すべきだ」という意見と「一律国民一人ひとりに同額給付すべきだ」という議論が巻き上がりましたが、実際に給付がはじまってみると、「私は本当に困っていないので給付をお断りします」あるいは、「いったん受け取ったが、別に困っていないのでお返しします」といった人があまりいなかったように記憶しています。してみると、"結構みんな本当に困っていた"ということなのでしょうか。
だとすると、みんなが「本当に困っている人」に当たると解釈して一律に給付する案でまとまりそうなものだと思うのですが? もしかすると、前回、給付金を受け取った人の中には、「本当に困っている人」「それほど困っていない人」「全く困っていない人」「困っている人に当たるかどうか自分で判断できかねる人」「本当は困っていないが、貰えるものはもらっておこう」などという人達が混在していたに違いないような気がします。もしもこうした前提で給付金設計をするとすれば、「本当に困っている人とはどんな人を言うのか」という定義をはっきりさせる必要があるということになるのではないでしょうか。しかし、そんなことをしていては、「間違いなく本当に困っている人達」を救うことはできなくなってしまうことが懸念されます。だから、「18歳以下の子ども一人当たり」という枠づけをするという案が浮上したのでしょう。したがって、この案にはケチをつければきりがないほど欠点があります。でも、この方が分かりやすく、しかも、給付対象を特定するのも簡単であり、雨が降っているときに傘を差しだすという緊急性にも叶うと思います。
ところで、オヤジはその昔ある団体に属していたことがあったそうです。あるとき、ある養護施設に寄付をしようという話が持ち上がったそうです。当然のことながら、ポケットマネーからいくらか拠出してもらうように呼び掛けることにしましたが、これまでの経験ではなかなか財布の紐が固く一筋縄では、会員みなさんの財布をこじ開けるのは困難だと考え、次のような秘策を考えました。それというのは、会員の各事業所を戸別訪問することでした。そして、面談の時にまず工場の大きさを褒めたり、あるいは棚に飾ってあるゴルフのトロフィーを称賛したり、場合によっては「おきれいな奥様で」など、とにかくポジティブで気が大きくなるような話で盛り上がるようにしたそうです。そして、最後に寄付金供出の話をすると、金額をけちることもなく(内心はともかく)、多額の寄付に応じてくれたということです。つまり、人間はその場の雰囲気によって、「自分は裕福である」と他人から見られているときは「困っていない人」になり、ただ単に寄付をお願いされると「困っている人(時には本当に困っている人)」になる生き物なのだと言います。ボクたちにはそこがよくわかりません。