友だちなら そこのところ うまく伝えて!
お母ちゃんは、自分で書類などを書くのは好きではないが、人(他人)をそそのかして書かせるのがうまい。そういう場面になると、オヤジがいつも口にするのが、自分のお母さんの話です。親戚や親しい人などから何か贈り物が届いたとき、お礼状を書くようにお母さんが息子であるオヤジに頼むのが常だったそうです。そんなとき、オヤジは、「なんて書けばいいの!」とお母さんに聞くと、「とってもおいしかった」「みんな元気か」「いつもありがとう」などという言葉を並べて、「そういって書いてやりなさい!」と指示するのだそうです。それが、わが家のお母ちゃんとそっくりだというのです。ただ一つ違うことは、オヤジのお母さんは、出来上がった内容にはまったく異論を述べることはなかったということですが、わが家のお母ちゃんのチェックは手厳しい。ときには全面書き直しと言こともあるようです。あきれ果てたオヤジは、それでは自分で書いたらどうかというと、それはできない。「そこのところ うまく伝えて」と粘られる。それはまるで、「友だちなら そこのところ うまく伝えて!」という歌の文句そのものだとオヤジは言うのです。
その歌というのは「阿久悠 作詞、都倉俊一 作曲の(友だちなら そこのところ うまく伝えて)」というあの曲のことですが、友達の方が本人よりうまく伝えることができるということをよく知っているという心理状態をつづったもののようです。オヤジのお母さんも、わが家のお母ちゃんも似ているというのは、自分ではストレートに本心を伝えきれないが、誰かが代弁してくれることで、より素直な心情が伝えられるということをよく知っているからだと思うのです。こうした心理は別にこの二人に限ったことではなく、すべての人に共通するものではないでしょうか。「友だちなら そこのところ うまく伝えて」というのは、「そこのところ よろしく!」という意味でしょうから、むしろ頼んだ方の心情をくみ取るというのが、"武士の情け"というものでしょう。そんなことに気がつかないオヤジではないはずなのに、いつもこころよく引き受けることをためらうのはなぜなのでしょう。それは逆に言うと、依頼し人の気持ちが痛い程わかっているので、そのことに応えるのはかなり厳しいことをよく知っているからだとボクは思います。
それが、ときには頼んだ相手をずるいと思ったり、頼まれた人を頼みがいがないなどと感じたりするのは、お互いに少しひねくれているからなのでしょうか? ボクは決してそうは思いません。それは、お互いが抱いている信頼感を傷つけたくないため、あるいは、相手の信頼に応える事の負荷を身に沁みで感じているからにほかならないような気がします。でも、これはほんの中間報告に過ぎません。ボクがこの家に来てから、まもなく27年になろうとしています。前半の13年間はこの世で、後半はあの世に籍を移したものの、実質的には今もオヤジと一緒に過ごしています。その間、人間の「機微」というものに興味をもち色々研究してきました。機微とは「表面だけでは知ることのできない、微妙なおもむきや事情」と辞書には書いてありますが、これではますます不可解さが募るばかりです。でも、不思議なことに、オヤジが次になんていうかはほとんどわかるようになりました。ということは、50年以上も一緒にいるお母ちゃんの方が、空気の読み取り方がボクの倍以上も長けているはずですよね。ボクはまだまだ修行が足りないようです。