ムサシの思いもひとしお
今月の11日であの東日本大震災から5年目を迎えることになります。何かにつけて、みんながすぐに集まるわが家ですが、5年前のあの日だけは連絡を取ることもできず、ただ、お互いの無事を祈るのみでした。後になって解ったことですが、一番恵まれた環境に置かれていたのはオヤジとお母ちゃんでした。というのも、家のすぐ傍に塩釜港湾合同庁舎があったからです。ここには食料の備蓄もありましたし、自家発電装置も揃っているため、携帯電話の充電もでき、テレビも見ることもできました。
わが家には何故か津波も押し寄せてきませんでしたので、三人の息子や孫たちが食べるものもなく、寒さに震えながら数日過ごしたなどとは夢にも思いませんでした。それにもかかわらず、石巻に住んでいる息子がオヤジとお母ちゃんを気遣い、食料を調達して1週間後に駆けつけてきてくれました。その時はじめてみんな無事であることを知ると同時に、現地の惨状を知りました。その頃わが家には、各地から支援物資が続々届けられていましたので、みんなに持たせてやることができました。
ところが、一番近くにいる長男とは連絡が取れず、食料を届けることもできませんでした。長男一家は市街地の真ん中に住んでいながら、全く食べ物が手に入らなかったというのです。長男一家は、毎年この3月11日にちょっとだけ豪華な食事をすることにしているそうです。それは、あの不安な日々を何とか乗り越えられたことに感謝するとともに、一瞬にして命を奪われた犠牲者に対して、心から冥福を祈るささやかな儀式にもなっているようです。4番目の息子であるボクも、これに倣って11日の午後2時46分には黙祷して犠牲になられた方々の霊を慰めたいと思っています。