日本刀の源流(のそ8)
多くの名刀、名工を生み出した鎌倉時代。その時代の仕事を理想としつつも、現在に合った刀の探求に余念がないのが白石市の刀工・宮城典真さんです。ひっそりとした山間の作業場で火床の火に向かう宮城さん。その作風は、数多くの名工を輩出した五大流派「備前伝」「山城伝」が中心です。生まれた子供や家の守り刀、居合流といった注文に応えつつ、各地の展示会などに出品する刀など年間20振り近く作る。19歳で刀鍛冶の道に踏み出し、30年以上になるという。
県の無形文化財技術保持者に指定されている父の昭守さんを師匠として、その仕事の合間に見て学んだ。休日に作業場を使わせてもらい、小刀などを作りながら技術を会得していった。宮城家は代々白石で鍛冶屋を営み、少なくとも19世紀前半の文政期ごろまで遡るという。明治の廃刀令で刀作りは中断したが、第二次世界大戦の軍刀需要の高まりを背景に、刀匠を養成するためにできた東京の日本橋の刀鍛錬伝承所に昭守さんが入門しました。
全国から集まった刀鍛冶と切磋琢磨した経験がきっかけとなった。典真さんは日々鎌倉時代の名刀に近づくため、研鑚を重ねています。「源平合戦ごろの刀の姿、地鉄、刃文などすべてに品の良さと味わいがあります。先人たちの作品を超えることは非常に難しい。それでも、鎌倉期の刀に少しでも近づきたいと刀作りに励んでいます」。現在、昭守さんは高齢のため作業場に立つことは少ないが、典真さんがその技を受け継ぎ、現代の名刀を栄求めています。