日本刀の源流(その7)
この焼き入れが最も神経を使う作業で、静かな闇夜に行う。明かりは火床の炎だけ。刀身の部分によって厚みはすべて異なるが、どんな長い刀でも平均に焼かなければならない。やり直しがきかない、真剣勝負だ。これほどまでに細かく心を配り、仕上げる刀は年間5振りほどです。しかし、その5振りを生み出すために20本前後の刀を打つのだそうです。鉄を鍛錬している時に空気がうまく抜けず、途中でだめになることもある。
焼き入れで生まれる刀の反りが、思ったより大きかったり小さかったりすることもある。妥協の一切ない仕事で、刀が出来上がると、刀鍛冶は刀身の根元にあたる茎(なかご)という部分に自分の銘を刻む。信房さんは「自分の名前が何百年も後に残るのだから、いい加減な仕事はできません」と語る。伝統の継承者としての自負もある。鎌倉時代に現在の奈良県で起こり、江戸時代終期後に途絶えた「大和伝保昌派(ほうしょうは)」を唯一継承するのが法華三郎家。
第二次世界大戦後先代の8代目が復活させた。見た目の派手さはないものの、渋く玄人好み、「質実剛健」と評される作風で、伊達政宗を始め仙台藩士らに好まれました。18世紀後半から活躍した初代法華三郎も、その作風を継承する仙台藩お抱え刀工の9代目国包や6代目安倫に師事し、腕を磨いた。信房さん、栄喜さん親子は刀作りを通して仙台藩の気風や、刀を心のよりどころとした人々の精神を今に伝えてくれています。