まるでボヤキ漫才
しばらくおとなしくしていたオヤジが、突然ボヤキ漫才のような話しを始めた。事の起こりはやはり電話オペレーターにまつわる不満でした。オヤジ曰く。企業などへ問い合わせしたいと思い電話をすると、中々つながらなくて苛々していることはよくあったが、それでも今よりはオペレーターの対応には温かみがあった。回線が込み合っていればつながらないのは今も昔も変わらいとしても、やっとつながった時、電話の向こうから「一生懸命さが」伝わってきて、嫌みの一つも言ってやろうと思っていても、ぐっと我慢することができたものだ。しかし、今は、どこの会社や団体でも、ヒトの声はするものの判で押したように、「この電話は、何とかなんとかの理由で録音させていただきます」とくる。そして次に、「○○は1を△△は2を××は3を押してください」と続く。やるせない不満を飲み込みながら、ボタンを押すと、今度は、「ただいま大変込み合っています。このままお待ちいただくか、しばらく経ってからおかけ直し下さい」ときゃがる。こちらとしては、最低でも、しばらくとはどのぐらいの時間です? ぐらいのことは聞きたいのに。
カーナビだって結構おかしい。カーナビが起動したときに、現在地の今日1日のお天気の案内がスピーカーから流れてくる。もちろん、目的地をセットすればその周辺の予報が案内されるのでボクにはそれほど問題ないように思えるのですが、オヤジは、現在地の天気など、お前(カーナビ)に教えられなくても、俺の方がよく知っている。余計なことをするなと言いたいらしい。確かに、機械というものは、細かいところに拘る割には、肝心なところが抜けていると言ことがよくあります。例えば、オヤジとお母ちゃんが山形県のある施設に行こうと思い、カーナビに目的地をセットして出かけたのですが、途中の道はよく知っているので、カーナビの案内は些か耳障りでした。これを我慢して進むこと約2時間あまり。やっとたどり着いたと思ったら、それらしき施設はどこにも見当たらず、キツネにつままれた思いでした。たぶん、目的の施設はどこかに引っ越したのでしょう。何とか探しあてからいいようなものだが、頼んでもいないことをくどくどしゃべり、肝心なことは知らぬふりとは! と憤慨していた。
ついでに言うと、お風呂の案内コールも実は気に入らない。「お湯はりします」「追い炊きします」「もうすぐお風呂が沸きます」「お風呂が沸きました」まではいい。ところが、浴槽の温度を上げようと思い、温度を上げるボタンを押すと、「お風呂の温度が変更できます」とくる。他の操作はすべて、指示に従って「~します。~しました」という音声が流れるのに、温度を上げる操作をしたときだけ、「温度の変更ができます」という。これまでの口調で言うなら、「変更できます」ではなく、「温度を変更します」あるいは、「温度を変更しました」というべきではないか。これがオヤジの論理なのです。いずれも、世の中が変わるような問題でもないのに、屁理屈に近いような理屈をぶちまけ、お母ちゃんとボクを笑わせます。これでオヤジの溜飲が少しでも下がり、晴れ晴れとした気分になれるのであれば、よしとしなければならないのかもしれませんが、オヤジのボヤキ漫才を聴いている観客はお母ちゃんとボクだけなので、当然盛り上がりに欠けます。本当にお笑いのネタだったらもう少し大胆に話せるのにというオヤジの背中が少し寂しそうだった。