言わぬが花
オヤジとボクは、今では全く一心同体のような形になっているので、日常生活ではあまり多くを語らなくても不便はありません。それにオヤジは、どちらかというと寡黙な方なので、俗に言うおしゃべりはあまり好きではありません。しかし、お母ちゃんはその逆で、「ちゃんと話さなければ分からない」といってオヤジを叱ります。もちろん、お母ちゃんの言うことも理解できますが、やはり、「言わぬが花」ということもあるような気がします。例えば、ボクがこの家に来て間もない頃だったと思うのですが、かなり大きな地震がありました。その時ボクはオヤジの布団に潜り込んでいたので、びっくりして飛び起き、一目散に階段を下り、玄関のドアの前でオヤジとお母ちゃんが来るのを待っていました。幸い、地震の揺れはすぐに収まり安堵しました。その時、お母ちゃんはボクに向かってこう言いました。"ムサシは私たち家族(オヤジとお母ちゃん)を置き去りにして、自分一人で逃げた"。もちろんこれはお母ちゃんの冗談だったと思ったので、敢えて弁解などしませんでしたが、でも内心は薄情なやつと思われたのではないかと、少し落ち込みました。
しばらくしてから、オヤジにそのことを話したとき、オヤジはこういいました。「ムサシはどうしたいのだ。家族の安全のためにいち早く情報収集しようと思い駆けだしたので、決して自分だけ助かればよいと思って、オヤジとお母ちゃんを置き去りにしたわけではない。と弁明したいのか」。そう言われてみると、いかにも、とってつけたような弁解になってしまって、返って気が引けるような気がしました。そんなわけで、この話はそれきりになってしまいましたが、後日、お母ちゃんがオヤジに話したそうです。「あのときはムサシに悪いことをしてしまった!」。やはりそうだったのです。あのときボクが弁解すれば、お母ちゃんも、冗談だったと苦しい弁解をする羽目になっただろうと考えると、"言わぬが花"とはこういうことを言うのだと、つくづく思い知らされました。お母ちゃんは大変ドライな人なので、思ったことはすぐに口に出す方なので、少々のことでめげることはない人なので心配はありませんが、一旦口に出してしまうと引っ込みがつかなくなることもあるので、お互いに気お付けるべきだということを学びました。
そうはいっても、我慢できずについ口に出してしまう人、ここは押さえるべきであると思いとどまる人、口は災いの元とばかりに黙り込んでしまう人など、様々な人がいますが、"三つ子の魂百までも"という言葉があるように、持って生まれた性分というものは、そう簡単に変えられないようです。一旦口に出してしまったため後には引けず、次々に悪しき行動を繰り返し、のっぴきならないところまで自分自身を追い詰める結果となっても、そのまま突き進まざるを得ない状況になり、しまいには、それを無理やり正当化してしまう強者も世の中には存在します。こうした状況を目の当たりにするにつけ、"言わぬが花"の精神で、寸止めしておくことが世の中の均衡を保つ上では必要なことかもしれません。特に、現代のように「経済的合理性」と「それぞれの正義」が絡み合ってもつれにもつれている状況下に置いては、決して殿下の宝刀の鞘を払ってはならないと感じています。一旦抜いてしまえば刃こぼれを起こし、やがて刀が折れる。そればかりか、血みどろの戦いが死ぬまで続くことになり、決して誰も幸せになれないのでは......。