ペットの体に埋め込むマイクロ・チップ
今に始まったことではありませんが、最近特に、野良犬や猫などが街の広場や空き地を占拠し、人々の暮らしを脅かしているというニュースが多くなってきているようです。しかも、これらの動物たちは、最初から野良であったわけではなく、ペットとして人間が飼育していたものが、何らかの事情で捨てられてしまったものだという。そこで考え出さされたのが、動物の飼育を始める前(あるいは飼育開始後)に、保護者の情報を記録したマイクロ・チップをペットの体に埋め込むというものです。飼い主の中には、可愛いペットの体を傷つけることには反対であるという意見もあるようですが、一度飼育を始めたら、どんなことがあってもペットたちのいく末に責任を持つというのは、最小限度の義務であると思われるので、やむをえない対応ではないでしょうか。もちろん、飼育責任といっても無限ではありません。もし、何らかの事情で飼育を持続することが不可能になった場合の善後策を講じておけば済むことですから、「自分は一生、責任を持って買い続けるので、他人に迷惑をかける心配はない」などというのも合理的ではありません。
また、マイクロ・チップをペットの体に埋め込むことで、全ての問題が解消されるわけではありません。例えば、飼い主が飼育義務を放棄し、かつ、引っ越しをしてしまった場合には、飼い主と連絡を取ることが難しいので、あまり意味がないという意見もあるようです。しかし、考えようによっては、飼い主の引っ越し場所を探り当てるのはそう難しくないのではないかとも考えられます。つまり、行方不明者として追跡をすれば必ず網にかかるはずです。令和元年6月に改正された動物愛護管理法の(1)基本原則には、「すべての人が『動物は命あるもの』であることを認識し、みだりに動物を虐待することのないようにするのみでなく、人間と動物が共に生きていける社会を目指し、動物の習性をよく知ったうえで適正に扱うよう定めています」と書かれています。つまり、この基本原則にあるように、全ての人間は『動物は命あるもの』であることを認識し、みだりに虐待することのないようにするのみでなく、人間と動物が共に生きていける社会を目指すというわけですから、「飼育義務を放棄する」というのは、「虐待」の最たるものではないでしょうか。
従って、そうした義務違反者を拘束し、罰則あるいは何らかの償いをさせるということは、上記の基本原則に沿うものであると考えます。このことについては、同法の「(3)動物の飼い主等の責任」に詳述されています。ただ、少なくともわが家には、このような法律等は必要ないとボクは思っています。そもそも、この家にボクを連れてきたのはお母ちゃんたちですが、一旦家族となり、お互いの存在を認め合ったその時から、お互いにかけ外のない存在として認め合ってきたたわけですから、法律の基本原則やその他の規定に束縛されることはもとより、特別保護されなくても何ら不都合なことは全くありませんでした。家族になるということはそういうことではないでしょうか。オヤジもお母ちゃんも、もちろんボクも、そんなことを話題にすることさえありませんでした。言わせてもらうなら、こんな法律を作らざるを得ない社会は、まだまだ未成熟だと思います。ヒトも動物も自然から生まれたわけですから、自然の摂理に従ってもっと汪らかに生きる術を身につけてはどうでしょう。そうすれば、ややこしい法律などは最小限で済むような気がします。