生きることは限界に挑戦すること
近年は、老いも若きもジム通いで筋トレに勤しんでいます。戦後間もないころに日本に持ち込まれたウェートトレーニングは、なかなか普及しませんでしたが、1954年のオリンピック東京大会を契機に、トレーニングジムが開かれるようになってきました。それでも当時は、ごく一部の人が取り組んでいるだけで、一般の人にはあまりなじみのないものだったそうです。宮城県が日本における発祥の地だったこともあり、オヤジも当時からの信奉者でもあり、自らも実践してきたということです。しかし、今では、体重を1㎏落とすのもままならない状態で、情けないかぎりだと嘆いている始末です。昔は、筋肉をつける方が体重を減らすよりはるかに難しいと豪語していただけに、せっかく勉強したトレーニング理論や筋肉の仕組みなどについて、堅く封印しているようです。でも、時々病院の看護師さんにトレーニングのやり方を教えられたりすると、「それは間違いです」と、つい言葉に出そうになることもあるようです。さすがに、そこまで言ってはおしまいなので、ぐっとこらえているようですが、その憂さをお母ちゃんにぶっつけて自分を慰めています。
最近もこんなことがありました。なかなか体重が減らないオヤジに、看護さんがアドバイスしました。そりは「筋肉をつけると代謝量が上がるので、筋トレをして見てはどうですか」と、言ったというのです。そこまでは正解でしたが、そのあとがいけない。「ごく軽い負荷をかけるだけでいいんですよ!」と重ねて言うのです。病院から帰ってきたオヤジは、ボクに向かって珍しく説法を始めました。その話はこうです。「筋肉を大きくするには、最大筋力の70%以上の負荷をかけなければならない」。また、その70%の負荷とはいったいどのぐらいかを見定めるのは大変難しいことなのだ」という。というのは、筋力の限界には二種類あり、一つは生理的限界でもう一つは心理的限界だという。通常は、生理的限界の方が心理的限界よりはるかに高い。そして、生理的限界はもっている筋力の限界であるので、目いっぱい出せる力の限界である。それに対して心理的限界は、これ以上力を出すと骨折するとか、出血するのでもうやめておこうといった心のブレーキをかけてしまう限界のことで、体の中に装備されている安全装置が作動するので、本来の限界に達する以前に力を緩めてしまい、本人はここが限界と思い込んでしまう。
以上のことから、①訓練することにより心理的限界を取り外し、できるだけ生理的限界に近づけること、②生理的限界を引き上げること、これが筋トレの本来の目的であるというのです。さらにいうならば、同じ筋トレを行っても、本人の頑張りとは裏腹に、一向に効果が上がらないという場合がる。それは、筋線維が細くて長い人と太くて短い人がいるからです。例えば、腕が長くて細い人は、上腕二頭筋を大きくしようと思って、一生懸命ダンベル運動(カール:肘を視点にして腕を曲げ伸ばしする動作)をしても、なかなか効果が出にくい。そうした場合は、「アイソメトリックス:等尺性筋収縮(最大筋力に合わせたウエイトで負荷をかけて動きを止める)」を行う。「アイソトニックス:等張性筋収縮(動きのある普通の方法)」は、一番筋力の弱いところに合わせて負荷を選ばざるを得ないので、トレーニングを一生懸命やっても筋肉がつかない。とかく人間という動物は、自分の都合のいいように解釈してしまい、「自分はトレーニングをやっても筋肉がつきにくい体質だ」などと結論づけてしまう。原因が分かれば解決に近づきます。あきらめずに来頑張りましょう。"生きることは限界に挑戦すること"ですから!!