お母ちゃんとオヤジのバトル
バトルといっても、取っ組み合いをする分けではありません。生まれ育った環境が違うわけですから、物事の考え方やしきたり、食事の味付けなど違うのが当然でしょう。それが新しい生活環境の中にそのまま持ち込まれれば、バトルが起こらない方が不思議かもしれません。お母ちゃんは、オヤジの仕事のスタイルについては、あまり口を出しませんし、食事の味つけなどは、オヤジに合わせていたようです。というより、もともとあまり違いがなかったのかもしれません。しかし、その他のどうでもいいことはことごとく違うのですが、こちらの方の主導権はお母ちゃんが握っています。表面的には丸く収まっているようですが、実は熾烈なバトルが未だに続いているのです。例えば、掃除の仕方、洗濯物のたたみ方、郵便物の始末の仕方など、お互いが歩み寄る姿勢は全く感じられません。さすがに言葉による応酬は疲れるのでありませんが、それだけに水面下では熾烈なものがあります。例えば、お母ちゃんが右に置いたら、オヤジがひそかに左に置き直す、といった具合です。でも考えようによっては、これでよかったのかもしれません。
もしも、これが足して2で割るような取り決めをしていたら、たぶん二人ともストレスをため込むことになり、時には大爆発を起こしたかもしれません。二人の名誉のために言わせてください。ボクが思うには、オヤジとお母ちゃんは、最小限度のルールを決め、それさえ守れば、後のことは余り自己主張をしない方がうまく行くことを知っていたのだと思います。実はボクはこのやり方を参考にして、自分主張を通す方法を考案したのです。例えば、散歩のときにオヤジが右に曲がるといい、ボクは左行きたいときは、一応最初は右に曲がり、次角では静かに左にリードする。そうすると、右に曲がることに特別意味があるわけではないので、オヤジもボクに従ってくれる。この戦術はボクが編み出したと思っているようですが、実はオヤジとお母ちゃんから学んだのです。自分のやり方が特に合理的だという根拠がない場合は、下手に我を通して自己主張するより、どうでもいいことは相手に主導権を持たせる方が、何かにつけおさまりがよいようです。ゆったりと幅のあるわが家のスタイルが、とても好きです。
経営学の父と呼ばれ、いまだに人気のあるピーター・ドラッカーは、このことに関連したことを次のように言っています。「経営における最も重大な過ちは、間違った答えを出すことではなく、間違った問題に答えることだ」。問題なのは、白黒をつけるべき問題を間違うことであり、白黒つけるべき問題を間違うということは、解いた答えも当然間違うことになる。だとすれば、物事を考える際に最も重要なのは「問題を正しく解くこと」ではなく「解くべき問題を見極めることだ」。オヤジの相談者の話を聞いていると、たいていは、「売上を伸ばすこと」を問題にしているが、本当は「利益を出すこと」であると感じるのは、そのたぐいなのでしょうか。オヤジは、そうしたとき、売上を上げることに主眼を置いたときの費用構成と、利益を上げるための費用構成の違いを分析結果で示していく。大方の経営者は、売上を上げなければ、利益を上げられないと決めつけている傾向がある。こうしてみると、他にも本当に重要な問題をそっちのけにして、些末などうでもいい問題解決に限りある時間を費やしているような気がします。「与えられた問題を解く」という教育が身に染みているせいでしょうか。もうそろそろモデルチェンジしてもいいころではないでしょうか。