お母ちゃんからのクレーム
先週の記事「小春日和」の中で、お父さんが、「小春日和を創るのも得意なんだ!」といっていましたが、あれは誤りで、むしろ私が創っているのです。だいたいお父さんは、土砂降りの日でも、多少の雨降りとしか感じない人ですから、普通の人より、一ランクも二ランクもかけ離れた見方をしているのです。ですから、お父さんが小春日和と思っているときは、普通の日あるいは少し曇りの日程度です。なので、このギャップ埋めているのは私であり、お父さんが創っているなんてことはまったくの勘違いです。ムサシだって知っているでしょう! ときた。そういえばお母ちゃんの晴れの日とは、デパートで買い物をしながら、温泉につかっている時でしょう。それには、長方形でちょうど財布におさまるサイズの紙が相当なければ実現しないはずです。してみると、小春日和だって、かなりの紙がなければ創れるはずがないということでしょうね。このギャップを埋めようとしたオヤジも、それを期待したボクも同罪で、とても浅はかだったと反省しています。
しかし、このままでは終わらないところがオヤジです。反省とは失敗を悔いることですが、そこから何を学ぶかが大事だと常々言っているだけに、新たな戦略を練り始めたようです。そうなると、相棒であるボクも乗らないわけにはいかないので、お母ちゃんのクレームを真摯に受け止め、オヤジの驕り(おごり)とお母ちゃんの受け取り方のギャップをなんとかして埋める秘策を二人で練ることにしたわけです。最初は色々なアイディアが出ましたが、お母ちゃんの「小春日和」の定義に合わせて、これを実現しようとすると、温泉付きデパートを手に入れなければなりません。それには「将を射んと欲すればまず馬をいよ」という諺のとおり、まず、例の長方形の紙をゲットしなければなりませんので、それは到底無理すから規格外としました。もちろん、そのほかにも議論は百出したわけですが、結局のところ、お母ちゃんはデパートや温泉が手に入らないことを不満に思っているわけではないことはたしかです。
それが手に入ったように舞い上がっているオヤジの態度が気に入らないだけなのではないか、という結論に達しました。その証拠に、それが実現する可能性がこんなに薄いということを百も承知の上で、何十年も一緒に暮らしてきたわけですから。つまり、お母ちゃんの怒りは、いわば心の中に棲む「かんの虫」を起こしてしまったことが原因で、これをおさめるくらいの出費は、デパートや温泉を買うよりはるかに安いはずだということです。この結論に従って、オヤジは相応の予算づけをしてお母ちゃんの顔をのぞいたら、いつもの笑顔に戻っていました。ボクもオヤジも、平静を装っていましたが、心の中はまさに「小春日和」そのものでした。皆さんのご家庭では、似たような話はありませんか?ここから得られた教訓は、つばぜり合いになったとき、そのままゴリオシして力むより、一度離れて、置かれている状況を冷静に分析し、最善の策を考えるということでしょうか? 時代劇で、よく剣豪が見せるあのシーンのように。